東京民医連

東京民医連のご紹介

みんいれんTOKYO(機関紙)1面の記事の抜粋です

共同の輪を広げ憲法と地域医療を守ろう
東京民医連第53回定期総会を開催

 2月26日・27日、クロスウェーヴ府中において、東京民医連第53回定期総会を代議員199人の参加で開催しました。今回の総会では、情勢認識を一致させ、第52期の活動の総括と今後2年間の運動方針を確認、第5次長期計画の推進を担う役員体制を選出し、情勢の大転換を勝ちとるたたかいの総決意・総決起の場となりました。

 

報告・討論後、2年間の運動方針を確認

 草島健二副会長の開会のあいさつの後、議長団総会役員を選出し、総会が開始されました。
 石川徹会長のあいさつ(要旨別掲)に続いて、来賓として全日本民医連岸本啓介事務局長、奨学生からあいさつがされました。

 

総会スローガン

○戦争法の廃止と社会保障構造改革の中止を求め、立憲主義を取り戻し、憲法9条・25条を守る共同の輪を大きく広げよう!!
○民医連らしい医療・介護活動を展開し、無差別・平等の地域包括ケア、安心して住み続けられるまちづくりの取り組みを共同組織と共に進めよう!!
○法人の中長期計画を策定し、医学生対策など医師養成課題の前進、経営の安定化をはかり、東京民医連第5次長期計画の実践を進めよう!!

 

 今井晃事務局長より、第1号議案「第53回総会方針」について提案されました。戦争法成立後も同法廃止の運動で、「野党は共闘せよ」の声が大きく広がり、5野党党首会談が開催、安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標とし、国政選挙での協力を行うことが確認され、2月19日、戦争法廃止法案が野党共同で国会に提出されたことが報告されました。その後、第2号議案の決算報告、第3号議案の予算案の提案がされました。
 各議案の提案を受けて、午後は組織小委員会と10の分散会に分かれ、討論と各事業所などでの活動報告で議案を深めました。
 2日目の全体会では、東葛健康友の会渡部隆夫会長、日本共産党の田村智子参議院議員から来賓のあいさつを受けました。各分散会での討議をふまえた座長団会議の報告では、分散会に代議員・評議員・共同組織など272人が参加して、426件の発言で議案を深め、日常の医療活動、職員の育成、後継者対策、たたかいと対応、共同組織の活動など運動方針をさらに豊かにする討論が行われたこと、補強意見が出されたことが紹介されました。
 本会議では19人が発言。介護事業の経営活動と人材確保対策について、保険薬局の在宅業務の現状と課題、戦争法廃止2000万人署名の取り組みついて、橋場診療所での無料低額診療事業について、今期の東京民医連看護管理研修状況と成果について、王子生協病院のポジショニングと経営課題について、医学対大運動について、高齢者安否確認システムの新松戸診療所での取り組み、いこいの家717の取り組みの経験、東京保健生協での憲法を学ぶ取り組みなどが報告されました。
 討議をうけて今井晃事務長が総括答弁に立ち、今総会での分散会と全体会での発言は445本で前回より50本も増え活発な討論が行われたこと、地域包括ケア、まちの保健室活動の議論が深まった、福島や沖縄訪問などのフィールドワーク、困難事例への対応などを職員の育成に結び付けること、2000万人署名の県連目標27万の達成、国保一元化にむけた対応などをさらにすすめていこうと呼びかけました。
 資格審査委員会の総会成立宣言後、各議案の採決に移り、各議案とも全会一致で採択されました。
 総会にあたって30年勤続者への感謝状が石川徹会長より授与され、代表して城南福祉医療会の加藤千鶴子さんから謝辞が述べられ感動を呼びました。
 選挙管理委員会からは、第53期の役員選挙の結果、全員が信任された旨の報告がありました。第52期をもって退任される役員を代表して安藤和美前副会長があいさつ(要旨別掲)をしました。
 特別決議の採択、新役員の紹介の後、根岸京田新会長から新役員代表あいさつ(要旨別掲)が行われ、田村直副会長の閉会のあいさつで2日間の総会日程を終了しました。
(第53回総会決定集は4月に発行予定です)

 

石川会長あいさつ
 昨年は安倍政権が戦後最悪・憲法違反の「戦争法」を強行した年でしたが、それに反対する声が全国津々浦々で自発的におこり、「総がかり行動実行委員会」のような形で従来の枠を超えて拡がり、今後の展望にむけて大きく前進した一年でした。
 私たちが求めるのは戦争ではなく「平和」そして「貧困と格差の解消」「医療、社会保障の充実」です。「戦争法廃止署名」の東京民医連目標は27万筆、5月3日の憲法記念日までに達成するように取り組みを強めましょう。この夏の参議院選挙では、安倍首相は憲法「改正」を選挙の争点にすると表明し、改正の発議に必要な3分の2以上の議席確保を目指すとしています。2月19日には野党5党が戦争法廃止を国政選挙で選挙協力の合意をしました。参議院選挙、平和憲法を守り、社会保障を充実させるための本当に大切な選挙となります。立憲主義を踏みにじり暴走を重ねる安倍政権を打倒して、医療・福祉、一人ひとりの国民の生活を大切にする社会をめざして奮闘しましょう。

53期の重点課題
 経済財政諮問会議では「社会保障関係費の伸びを経済・財政再生計画の目安に沿って抑制する」とし「医療・介護提供体制の適正化」「公的サービスの産業化」など今後3年間を集中改革期間と設定し、社会保障費を大幅に削減し市場化への道を押し進めようとしています。
 就任後2年が経過した舛添知事、昨年12月の東京都議会での所信表明は安倍政権の新たな「三本の矢」について「国と都がスクラムを組んで政策を前に進めていく」と述べるなど政権に擦り寄っています。東京都も高齢化は急速に進み、格差の拡大と貧困、健康問題は深刻です。また、オスプレイの横田基地への配備を容認。来年度の予算案も外環道や環状2号線の整備などオリンピックを口実にした巨大開発を進める一方、住宅耐震化助成の予算は6割減額、都営住宅の新規建設はこの17年間ゼロ、国保料や介護保険料の負担軽減の拡充もありません。今後、地域医療構想や国民健康保険の一本化はじめ東京都の権限が強化されます。都道府県ごとの医療費適正化計画の策定も始まります。東京都に対する運動を強化していかなければなりません。
 53期の重点課題は、「戦争法廃止、憲法を守る大運動」「無差別・平等の医療・介護活動の展開」「医師養成の前進」「経営を守りきる」「共同組織活動」「県連機能強化と共同事業の前進」などです。そして各段階での県連へのより一層の団結と「あらゆる活動を共同組織とともに」の視点が重要です。

10年の任期を終えるにあたり
 私は10年間務めた会長を今回、退任となります。初めて東京民医連の理事となったのは1990年、ちょうど第3次長期計画の開始の時でした。東京センター病院としての立川相互病院がオープンし、診療所の新設が続きました。第4次長期計画では介護分野に大きく活動をひろげ、そして昨年決定された「地域・連携」を強調した第5次長計へと東京民医連は様ざまな困難を乗り越え、着実に前進してきました。
 私が会長となった2006年の第48回定期総会、国政では小泉内閣の「医療構造改革、社会保障費抑制」で医療崩壊の真最中、東京都では「何が贅沢といえばまず福祉」という石原都政が医療・福祉の切り捨てを次々にすすめるという時でした。当時、中野共立病院などの現地建て替えを東京全体で支えて成功させることに取り組みましたが、いよいよ今年、東葛病院、立川相互病院がリニューアルオープンとなります。医療や介護をめぐる厳しい情勢の中、建設後の運営を含めて成功させなければなりません。
またこの10年間に医師の確保・養成、給食共同事業リップルはじめ県連の共同事業、各職種部会の活動、「東京はひとつ」の取り組みが大いに進んだと思います。今後も私たちは民医連綱領、「無差別平等の医療と福祉の実現を目指します」で始まる綱領に確信と誇りをもって共同組織、地域の方々とともに前進しましょう。

 

新会長のあいさつ
*根岸 京田*

 平和や社会保障をめぐって激突の時代に県連の会長になりました。今期の平和と社会保障は正念場です。今の安倍政権の基盤は株価や円高に支えられたものであり、その基盤は盤石なものではなく、安倍政権に打撃を与えるチャンスはあります。この夏の参議院選挙では選挙権が18歳に引き下げられ新しく240万人有権者が増えますが、シールズや高校生などの若い世代が立ち上がっています。
 地域包括ケアシステムが安易な医療費削減の方法として導入されようとしていますが、本来の意味での無差別平等の地域包括ケアがヘルスプロモーションの運動と結びついていけば、健康を考える自覚的市民が増えていき、雇用や平和を重視する市民運動に連結していくと思います。
 1986年、WHOはオタワ憲章の中ではヘルスプロモーションという健康政策を提唱しました。健康とは医師や薬によってつくられるのではなく、人が生活する場所でつくられています。
 そしてヘルスプロモーションの最大の敵は貧困であり、究極の目標は平和であると述べ、世界の潮流は私たちの健康と平和をまもる連動と連動しています。
 世界の富豪の62人の資産が、貧困な35億人の資産に等しいといわれる中、日本にも格差と貧困が広がっています。
 私たちは、立場の弱い人に寄り添いながら、その人たちの代弁者となってその状況を変えるために奮闘していきましょう。

 

退任役員あいさつ
*安藤 和美*

 1969年代々木病院付属准看護学校の5期生として、民医連の歩みが始まりました。代々木病院の医師を中心とした最高の講師陣に医学・看護を学びました。
 私は被ばく者の外来を担当し、患者を丸ごと捉える重要性を学ぶ機会となりました。「こころ・くらし・からだ」を視ること、患者を通して社会を見ること、「民医連看護の3つの視点」を実感し看護のやりがいを感じました。
 北医療グループが建設した東葛病院は1982年オープンしますが、倒産の危機になり全国の民医連から支援を受けました。代々木病院は東葛病院再建と合同に向けて動き出します。私は1992年、第1陣として30人のメンバーと東葛病院での勤務がスタートし、翌年には北病院への支援にいきました。
 北病院での支援は民医連が一丸となって支える、その一員として働くことが楽しい毎日でした。「再建しよう」「病院を守ろう」の意気込みはひしひしと伝わり、業務改善を提案すると打てば響くように変わっていきました。
 1997年、王子生協病院と合同します。さらに荒川生協病院との合同、診療所建設など私は東京ほくと医療生協の歴史と共に歩みました。2013年王子生協病院は現地建て替えを終了しましたが、看護師が集まらず病床全面オープンができない危機に直面しました。
 しかし支援要請に応えてくれた頼もしい東京民医連の看護集団は、2013年5月から支援を開始、約1年7ヶ月、支援者9人、1583日の支援日数。この人的支援は厳しい看護師体制のなかで東京ほくと医療生協を励まし救ってくれました。この支援は宝物です。
 民医連の仲間がいたからこそ働き続けられた、さまざまな体験を通して民医連看護を貫いた人生でした。理事10年間の学びも奥深く連帯する力、物事を見極める力を培いました。これからも民医連運動の発展のため一緒に奮闘していきましょう。
 一緒に悩み支えてくれた東京ほくと医療生協の仲間の皆さん、そして多くの民医連の仲間に感謝し退任のあいさつとします。