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みんいれんTOKYO(機関紙)1面の記事の抜粋です

日本の生活保護について考える-1-
生活保護問題対策全国会議事務局次長社会福祉士 田川 英信

 生活保護費を不当に引き下げられたことに対し1000人を超える原告が立ち上がっている「新生存権裁判」の地裁判決が全国で出されています。裁判支援をする田川英信さんに生活保護についてお話をうかがいました。

 

 日本は、生活保護を攻撃することが普通になっているのではないだろうか。生活困窮者に対する現行の日本の政策や制度のあり方は、国際的にみても異様で、全く正しくないと私は考えている。3回にわたって論じたい。

 

2割程度しかない捕捉率

 日本の生活保護制度の捕捉率(制度を利用できる人が、実際にどれくらい利用できているか)は2割程度だと言われている。生活保護の利用者は200万人余。それが2割だとすると残りの8割。人口でいうと約800万人が制度を利用できるのにしていないことになる。
 国によって公的扶助の制度設計が異なるため単純には比較できないが、捕捉率が9割という国もある。低い国でも少なくとも5割程度は捕捉しており、日本が群を抜いて低いのである。
 本当は、もっと多くの人が生活保護制度を利用して良いのに、そうなっていない。しかも、この低い捕捉率を上げようという意識、取り組みが非常に弱い。政府・自治体が捕捉率を上げることに本腰を入れる。このことが求められている。

 

何のために貧困率を出すのか

 統計として各国で発表されている貧困率。最新のデータである2021年の相対的貧困率(※1)は日本が15・4%となっている。経済協力開発機構(OECD)の中では、米国(15・1%)、韓国(15・3%)を抜いて先進国最悪である。つまり、貧困にあえぐ国民が多いのだ。
 それだけでなく、貧困をなくすための取り組みが著しく弱いことが問題である。たとえば「10年後までに貧困率を5ポイント下げて10%にする」というような目標設定をし、施策の改善をするのが一般の国。ところが日本は、そういう目標設定をしたことがない。
 統計は、現状を客観的に分析・把握し、施策の改善のために使われてこそ意味がある。せっかく貧困率を出しているのに、それを施策に活かそうともしていない。これは、政府が貧困解消に全く熱意がないからだ。
(※1)相対的貧困率…国民全体の可処分所得の中央値(平均的な中流世帯)の半分以下の所得の者の割合

 

根強い生活保護に対する忌避感

 「生活保護の利用は恥ずかしい」「生活保護だけは利用したくない」「何か他に制度はないのか」としばしば相談者に言われてきた。生活保護を嫌い、避けたいと思う国民は非常に多い。この忌避感が強いことが、捕捉率が上がらない要因のひとつとなっている。
 同時に、日本の国民意識も異様だということも強調したい。少し古い2007年のデータになるが、「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要があるか」という国際的な国民意識調査がある(「What the World Thinks in 2007」The Pew Global Attitudes Project)。その調査結果で「生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と答えた人の割合は日本が38%でダントツです。第2位は自己責任の国、アメリカの28%。日米以外の世界各国は、どこも7%~10%程度であった。生活に困った人を国・政府が助けるのが当然で、見捨てるべきではないと世界の多くの国民が考えている。そういう国では、生活保護や公的扶助の利用を恥じることもない。
 それに比べて「困っている人を政府が助けるべきではないという国民が日本には4割もいる」だから、生活保護の利用に対しバッシングをするのではないか。
 「生活できないのは自己責任」「親族なのだから扶養せよ」「政府は『公助』として少しお手伝いをします」これが日本の現在なのである。なんと生きにくい国なのだろうか。
 このような国民意識は変えなければならない。そのためにも、政府や自治体による積極的な広報、国民教育が求められているのに、ほとんど放置されている。
 いや、むしろ逆に、保守的な国会議員たちは生活保護利用についてバッシングをしている。2012年に、お笑い芸人の母が生活保護を利用していたことに対し、「不正受給」という誤解まで持ち出し、自民党の片山さつき議員らが国会で追及したのがその典型例である。
 その時、この芸人さんについて「生まれる国を間違えた。フランスだったら、高額納税者として勲章のひとつももらえたかもしれない。自分で生活できない母は、国が面倒をみるだけの話」と指摘したのは、フランスの新聞記者レジス・アルノー氏である。生活できない人がいれば生活できるように国が支える。これが世界標準の意識なのである。

 

扶養照会が生活保護利用の壁に

 生活保護の申請をすると、親族である扶養義務者に対して「扶養ができませんか」という文書照会が行われることがある。この扶養照会の運用が2年前に少しだけ緩和されたものの、廃止はされていない。
 あまり知られていないが、日本の扶養義務は「前近代的」とまで言われている。というのも、世界のほとんどの国は、配偶者間、未成熟の子に対する親には扶養義務を求めているが、成人している親子間や兄弟姉妹には扶養を求めていない。これに対し日本は、配偶者間、直系血族、兄弟姉妹に加え、家庭裁判所の審判を経ることにはなるが3親等内の親族(おじ、おば、おい、めい等)にまで扶養義務を負わせている。
 自分で生活できない人がいたら、その扶養を親族に求めるのではなく、国や自治体がしっかりと支える。これが現代国家なのである。だからこそバッシングされた芸人さんは「生まれる国を間違えた」とまでフランスのジャーナリストから厳しく日本のあり方が批判されたのである。
 私たちの「常識」は、実は世界では「非常識」なのかもしれない。