★富屋食堂・富屋旅館
富屋食堂は特攻の母として慕われた、鳥浜トメさんの食堂。鳥浜トメさんの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品・写真をおりまぜ、当時の場所に再現されたものです。隣接する富屋旅館は、戦後(昭和27年)遺族を知覧に泊めるために作られたものです。今回この富屋旅館に宿泊しました。
ある特攻隊員の青年が、飛立つ前日にトメさんを訪ね、「自分は明日、国のために命を捧げるが、必ずホタルになってここにもどってくるから、ホタルが飛んできたら自分だと思ってください」と言い残して行きました。不思議なことに、翌日の晩、一匹のホタルが舞い込んで来て、みんなで涙を流したといいます。そのホタル、「あの柱にとまったんですよ」と、旅館の女将さん。(映画『ホタル』のクライマックス。)
★知覧特攻平和会館
まず会館に入ると、数えきれないくらいの特攻隊員の青年達の遺影が展示されていました。もちろん遺影にするために撮った写真ではありませんから、17、18歳位の無邪気な笑顔がそのまま最期の写真になってしまったものも多くあり、それがとても悲しく映り、涙を流しながら見学している学生もいました。
本当に若い青年達が、親や兄弟、恋人を残して死に向かって飛び立たなくてはならないその心境を、達筆で書かれた遺書などをいくつ見ても、私たちには想像することができませんでした
学生の声
- 一人ひとりの顔を見ていると本当に若い人たちばかりで驚いた。自分と同じくらいの方たち、もし自分だったら、と考えてしまって、まだやりたいことが沢山あったんだろうと思うととてもやりきれなかった。
- 戦争とは昔のもので、今の日本人とは遠い人だと思っていました。でも、写真を見ると現代の人と同じで、電車で隣に座っていてもおかしくないぐらい身近な人たちだと感じ、そのような人が戦火の中に飛び込んでいったことは、私にとってとても衝撃的でした。
戦争は、人間が存在している限り、いつ起きても不思議ではないことなのかもしれない。だからこそ、その愚かさを意識し、忘れることが無いように努めなければならないと思う。今の日本では戦争を知らない世代が増えており、戦争の愚かさに鈍感になっている。今こそ戦争について知り、考えなければと思った。
★お茶摘み体験
特攻隊の飛行場があった辺りは、今では一面お茶畑。特攻平和会館の見学の後、茶摘みを体験しました。
- まず、茶畑に行ってお茶葉を籠一杯摘んできました。「ほれほれ、はやくはやく」と農園のおじさんにせかされ、励まされ(?)、だんだんとコツをつかんでいきました。
- 次は、摘んできた葉を蒸す作業。少し蒸しては手で揉む、これを何度も繰り返すのです。「もういいですか」と聞くと、「聞いちゃだめだ。自分の鼻でお茶の香を確かめながらやらないと、自分のお茶はできないぞ」とおじさん。蒸しては揉んで、蒸しては揉んで、手が止まっていると、「ウロウロしてるとウーロン茶になっちゃうぞ」。これはギャグではなく、蒸す時間が長くなると渋みがでたりして、ウーロン茶になるそうです。どのお茶も葉っぱは同じものなんですね。おじさんに檄のなか、約3時間の奮闘が続きました。
- 今回お世話になった一番山農園さんでは、畑の一角で無農薬栽培をしていて、畑に合鴨を放し飼いにして虫を食べさせる、合鴨農法を行っています。にわとりも一緒に放し飼いをしています。その産みたての卵のゆで卵を食べさせていただきました。まさに自然の恵み。休憩しながらも、わたしたちのお茶(になる予定のもの)が気になって、食べ終わるとすぐに揉む作業に戻るみんな。
- 休憩後、さらに1時間揉むと、だんだんとお茶葉の手触りがカサカサとしてきて、見かけもなんとなくお茶っぽい。微妙な変化なんだけどそれに敏感に気づいた。そういう「カン」みたいな物って実際やった人のみが手に入れられるもの。「もうそろそろ仕上げの乾燥だ」とおじさんからお許しが!長かった!だけどお茶ってこんな風に手間ひまかけてつくられてるんだねーと感動。乾燥機からでてきたお茶はまさに、私たちの「お茶」です。私たちの鼻と、不確かなカンだけで作業してきたけれど、おかげでこの感動です。簡単にペットボトルのお茶が手に入る世の中で、お茶ができるまでの一部始終を体験してもらいたい、と今の体験ができるようになったとか。
特攻平和会館などを見学してきたこと、涙を流していた学生の姿をおじさんにも話しました。おじさんは、「でもね、知覧は3度来ないとだめなんだ。1度目はショックで泣くだろう。2度目も悲惨さに涙するかもしれない。そして3度目に冷静に事実を見つめ、憤りを感じるだろう。私たちは過去を嘆いたり悲しんだりするだけではダメなんだよ」と。重みのある言葉でした。この夏の体験を忘れずに、命をあずかるという大切な仕事、立派な看護師になろうと改めて思いました。
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