機関誌「みんいれんTOKYO」2025年12月号
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機関誌「みんいれんTOKYO」2025年12月号
民医連の運動と事業の継続に必要な
経営改善・構造転換をすすめよう
東京民医連は今年の経営検討会を、重層的に行うこととし、11月1日に「経営検討会」、8日に「病院経営改善検討会」を開催しました。
まず1日の会議は①今年度上半期の経営の到達と課題を共有し、今年度予算達成と必要利益に届く26年度予算作成への強い意思統一を行う。②中長期計画・経営計画の策定の重要性を再確認する。③法人・事業所をこえた民医連への団結を固める。
8日の会議では、病院経営に焦点を絞り①今年度上半期の予算差異分析、精度の高い決算予想を行う。②今年度残り期間での予算達成への取り組みと来年度予算編成へつなげる、を目的にそれぞれ行われました。
11/1 経営検討会
今年度は、TOC有明で1日開催としました。社会保障費削減の影響が深刻化する中、地域医療と民医連経営を守り抜くため、各法人・事業所の管理者、職責者が一堂に会し、現状分析や今後の方針を議論しました。
冒頭、高橋雅哉副会長が開会挨拶に立ち、全国的に医療機関が戦後最大の経営危機に直面していると指摘しました。東京民医連も赤字法人が過半数を占める厳しい状況にあると述べ、危機意識の共有を呼びかけました。そのうえで「地域住民の命と暮らしを守るため、経営改善の努力を民医連らしく発展させよう」と訴えました。
基調報告と特別報告
宇留野良太経営委員長の基調報告では、17法人合計の経常利益が約6億円の赤字となり、資金繰りの悪化が深刻であると指摘しました。全法人で予算収益未達が続き、借入金返済や投資更新が困難になる恐れがあると述べました。
その上で、在宅医療の強化や地域連携の拡充を柱に、持続可能な経営基盤を築く必要性を強調しました。さらに診療報酬算定の徹底や入院収益改善、新規患者獲得など具体的な改善策を提示し、全職員参加型の経営実践を進める決意が示されました。
特別報告では、東京保健生協の折井敬行専務理事が、老朽化した東京健生病院の病床機能を旧老健施設の建物へ移し、有床診療所として在宅医療を強化し、再出発する計画を報告。東京勤労者医療会の南隆子経理部長は、借入金144億円を抱え、みさと協立病院の入院医療撤退など法人の厳しい現状が報告されました。
生田利夫副会長は、2024年度訪問診療調査を基に「民医連らしい在宅医療」を展望。県連全体で常勤医師154人、非常勤医師223人が従事し、年間患者数は約1万2千人。看取り実績や24時間対応に課題が残ると報告しました。
利益は目的ではなく、地域医療を守るための手段
学習講演は、全日本民医連 堤幸春事務局次長。まず全国的な経営危機の実態を示し、135法人のうち約8割が収益未達、現預金減少法人は83に上り、そのうち45法人は前年比10%以上減少するなど資金繰りの悪化が顕著であると報告しました。東京民医連は全国平均よりさらに厳しい状況にあると指摘し、会場に緊張感が走りました。
「必要利益」の概念を提示し、償却前経常利益率7%以上、経常利益率3%以上の確保が持続可能な経営の最低条件であると強調しました。「利益は目的ではなく、地域医療を守るための手段です」と述べ、理念と経営の両立を明確に位置づけました。
「倒産は借入金返済ができなくなった時に起こる」と断言。借入返済や投資更新を上回る事業キャッシュフローの確立が不可欠だと説きました。V字回復を果たした法人の共通点として、全職員集会による危機意識の共有、診療科別収益改善、入院収益増加、在宅部門強化を挙げ、「全職員参加の経営実践が成功の鍵です」と分析しました。
最後に病院外来の機能分化や在宅診療の高収益化を戦略的方向性として示し、「危機を直視し、数値目標を明確にし、事業利益を軸にした改善を進めることが地域医療を守る唯一の道です」と結びました。
参加者からは、「収支を管理する経営から、価値を創る経営への転換が不可欠」という言葉が印象的だった、などの感想が寄せられました。
指定報告
橋場診療所は120人を超える在宅患者を診療し、困窮者や外国人患者への支援も行っていることを報告しました。東葛地域医療部は地域住民が安心して生活できる体制を目指し、退院時情報提供のFAX整備やACP共有システム構築など情報共有改善の具体策を示しました。
小豆沢病院は地域包括ケア病棟90床と回復期リハビリ病棟40床を効率的に運営し、法人内からの入院要請は原則全て受け入れる方針を説明しました。桃井診療所は 「どんな患者も断らない」姿勢で透析患者の受け入れ拡大により経営改善した経験を報告。送迎車運行やWi-Fi整備などサービス充実とスタッフの意識改革が成果として示されました。富士見通り診療所は生活習慣病管理料Ⅰへの移行による収益改善を報告しました。看護師中心の指導体制や業務効率化により増収を実現しました。
講評と閉会挨拶
千葉啓公認会計士が講評を行い、「予算そのものが必要利益に届いていない法人が多数存在し、達成しても資金が減少する構造がある」と指摘。2026年度予算編成に向け、下期での経営構造転換が不可欠であり、東京全体の戦略策定と法人再編方針の検討を急ぐべきだと訴えました。また岡村博副会長より「医師80・80」パンフレットを活用し、医師不足問題の啓発活動を更に進めることの呼びかけがありました。
閉会挨拶では西坂昌美事務局長より「補正予算や診療報酬改定に左右されず、構造的な転換を進めることが必要」との決意が示されました。
11/8 病院経営改善検討会
ベルサール飯田橋ファーストにて午後から開催しました。宇留野良太経営委員長の「病院経営の改善なくして法人改善はない」「予算差異分析の精度を高め、課題を具体化し、次年度予算編成へ直結させる検討会にしましょう」との挨拶で始まり、全日本民医連入江敬一事務局次長による学習講演が行われました。
病院幹部の2つの役割
入江氏はまず、病院幹部の姿勢が病院の質を左右すると強調しました。幹部には「社会に向けて語る役割」と「組織内部の方針を固める役割」の二つがあり、危機認識を持ち、問題を顕在化させ、本質に迫る努力を怠らないことが求められると述べました。特に、経営困難が続く現状においては、課題を曖昧にせず、組織全体で共有し改善に直結させる姿勢が不可欠であると指摘しました。
さらに、病院経営改善の方向性として「医療介護複合体の構築」を挙げました。急性期から慢性期、在宅医療や高齢者施設との連携までを一体的に整備し、民医連のチームとしての強みを活かすことが重要だと説明。外来機能については、国の方針として病院から外来を分離する流れがあることに触れ、紹介重点医療機関への移行や門前クリニックとの機能分担を検討すべきだと提案しました。
また、予算差異分析の精度向上を強調しました。予算そのものの根拠が不明確では分析が成り立たず、患者延べ数や診療報酬の見込みなど具体的な数値を基盤にする必要があると述べました。
参加者からは、「真摯さ」というキーワードが心に刺さった、次世代につなぐための投資や建て替えを意識するようになった、などの感想が寄せられました。
1対1の分散会で
講演後は、2病院ごとの分散会に分かれて各病院の下半期予算達成に向けた予算差異分析、課題と対策、次年度の予算編成に向けた課題を報告し、互いに指摘し合い、具体的な改善策が共有されました。
千葉啓公認会計士が講評を行い、最後に、東京民医連西坂昌美事務局長が閉会挨拶をのべて締めくくりました。
第5回 自己責任論を考える
いま伝えたいこと
つくろい東京ファンド
小林美穂子
その言葉に初めて出会ったのは、忘れもしない2004年、イラクで邦人が武装勢力に拘束された人質事件だった。前年、イラク戦争が勃発し、当時の小泉政権は自衛隊のイラク派兵を決めたのだが、武装勢力は自衛隊の撤退を求めて邦人3人を人質に取った。
それまで世界のどこであっても紛争や戦争に日本人が巻き込まれることはないと思っていた私は衝撃を受けた。国が戦争に加担したことにより、日本人であることがリスクになった、そう感じた。
当然、国はあらゆる手段を尽くして人質を助けるだろう。そう疑わなかった私は、小泉首相(当時)の言葉に凍り付いた。「自己責任」である。他の政治家たちも次々に追随し、耳を疑うような言葉を吐いた。それを皮切りに日本中で「自己責任論」が巻き起こり、怒りと憎悪、呪詛の言葉が被害者である人質たちに向けられた。
為政者の笛と世論の暴走
他人事ではなかった。当時の私は、人生の半分を海外のいろんな国で暮らしていたからだ。国外で暮らす邦人にとって、国や大使館は自国民を守る存在だと信じていた。それなのに、国の行いのせいで命の危険に晒された日本人に対して、嫌悪感を顔に浮かべ、迷惑だと冷酷にも言い放ったのだった。
「自己責任」という言葉は、もともと経済・金融分野の投資などの文脈で使われていた言葉だという。それが、イラク人質事件で対象が変わり、その裾野は瞬く間に広がり、やがて生活困窮者や難民などの弱者にぶつけられる石礫になった。問題の根本原因や社会的構造を問うのではなく、ありとあらゆる問題を個人の責任に帰結させてしまう「悪魔の言葉」は、それ以後、為政者たちに重宝され、その言葉を唱えれば、あるいはいま匂わせさえすれば、都合の悪いことを責任回避できるようになった。笛を吹いて合図をすれば、日本中から一斉に石礫が投げつけられる。その無数の石礫は人々の口を塞ぎ、時には殺す。
生活保護の捕捉率二割という現実
「自己責任」、その言葉を内在化させてしまい、生活に困窮しても生活保護を利用しない人たちがいる。餓死、自死、犯罪を選ぶ人がいる。生活保護利用の要件を満たしている人で、実際に利用している人(捕捉率)は二割ほどだ。日本の社会保障制度の敗北だといってもいい。
生きていれば、病気、ケガや不測の事態で働けなくなることは誰にでもある。障害や高齢でも然り。しかし、バッシングは容赦なく高齢者にも障害者にも浴びせられる。「若い頃に何をやっていたのか」「社会のお荷物」「優遇されすぎている」等の非難の声からは、福祉制度を利用することを「迷惑な存在」として捉えているのが伺える。
迷惑と支え合い
「迷惑」といえば、思い出すのは親の言いつけだ。
「人様に迷惑をかけることだけはするな」
この教えを聞かされて育った人は多いのではないか。親から子へ、代々受け継がれる謎の教え。今思うと、親自身、深く考えていなかったと思う。だって、この世に人に迷惑をかけない人なんて、きっと一人もいない。言っていた本人たちとて、現在は高齢化して多くの福祉サービスに頼り、時には混乱して警察の世話にもなる。
結構な「迷惑」を隣人にかけている。でも、社会で生きるって、そういうことだと私は思う。私自身、膨大な数の人々に面倒も、迷惑も、心配もかけ、またかけられながら生きている。それは、社会保障と同じで、ぐるぐる巡って人を支えたり支えられたりするもので、「おたがいさま」ともいう。
日本社会に根付く「自己責任」意識
「世界人助け指数」なるものがある。
イギリスの慈善団体(チャリティーズ・エイド・ファンデーション)が行う調査で、「この1ヶ月の間に、見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」、「この1ヶ月の間に寄付をしたか」、「この1ヶ月の間にボランティアをしたか」という3項目から算出される。
2024年の成績を見ると、一位インドネシア、二位ケニア、シンガポールがそれに続く 43。想像はしていたが、日本は142か国中141位だった。上位にアフリカの国々がランクインしているのを見て、心の豊かさと経済的豊かさに必ずしも相関関係はないのだと思う。
イラク人質事件の時、現地で支援活動をしていた人質を、政治家も市民も寄ってたかって叩きのめし、あまつさえ謝罪を要求し、諸々費用まで負担させようとした。読売新聞などは社説に「独善的なボランティアなどの無謀な行動」と書いた。なるほど、納得の141位ではないか。
人権が育ちにくい土壌
先日、電車に乗っていると3歳くらいの女の子を連れた母親が乗ってきた。「ほら、ちゃんと座って!」に始まり、「やめてよ、もう!」と子どもを叱責する鋭い声が離れた私のところにまで聞こえてくる。車内は空いていたし、子どもは車窓を見たがるだけで大した声も出しておらず、正直母親の声の方が気になるなと思っていたところに極めつけ。「ほかのお客様のご迷惑にならないようにして!」
車内アナウンスを暗記したかと思うほどの文言がひときわ大きな声で発せられた。それを聞いて合点がいった。母親の不必要なほどに大きな声は、子どもに対するものではなく、他の乗客に向けたアピールなのだと。「自分は子どもを放置していませんよ 56。ちゃんと注意していますよ。私は悪くないですよ」と。
迷惑とも思えない行為にさえ、神経を使っていないと、他人から非難されるのではないかと伝える、そんな窮屈な社会に私たちは生きている。個よりも集団の利益を尊重する、そんな土壌で人権はさぞかし育ちにくいことだろう。福祉や社会保障分野はいわずもがな。
輝け看護
家族とともに歩む回復 ~在宅の力~
私たち訪問看護師は、病院を退院された利用者が、自宅という「本来の生活の場」では驚くほどの回復力を発揮する姿に多くを学びます。
今回ご紹介するのは、「家族と一緒にお墓参りに行く」という目標を掲げ、懸命にリハビリに取り組まれた80代女性A氏の事例です。
入院生活で認知機能が低下し、廃用により寝たきりの状態。車椅子移乗には二人介助が必要。また、尿閉によるバルーン留置に自然排便も困難で、長期の介助が必要になると想定。
しかし、退院後のA氏は驚くほどの回復を見せました。その最大の力となったのは、娘の「歩けるようにしたい」という強い思いと、その具体的な「創意工夫」でした。歩行器や床に色テープを貼り、足を出す位置を視覚的に理解できるようしました。更に、足の動きが止まると紐が臀部に触れて前進を促すよう工夫し、数日間で数歩歩けるように。また、わずかな便意も見逃さずにトイレに座るよう介助すると自然排便。退院後1か月半で歩行器を使って10m歩き、トイレにも行けるようになりました。
現在では段差昇降訓練も始まり、目標のお墓参りも現実味を帯びています。「スパルタで歩かせている」と話す娘と、「怖いのよ」と笑い返すA氏の会話は、温かな家族の結びつきを象徴しています。
A氏の事例は、「家族の創意工夫」と「看護の支援」が結びついた時、本人の意欲はさらに高まり、生命力・回復力が引き出されることを教えてくれました。
看護の本質である「その人の力を信じ、引き出す支援」を改めて感じました。これからも一人ひとりの希望に深く寄り添い、その人らしい生活を支える看護を続けていきたいです。
(たんぽぽ訪問看護ステーション新松戸出張所 長谷恵)