機関誌「みんいれんTOKYO」2026年1月号
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機関誌「みんいれんTOKYO」2026年1月号
新春対談
「見えない困難」と向き合う -医療と地域の現場から-
小林 美穂子さん(つくろい東京ファンド)×根岸 京田医師(東京民医連会長)
今年の新春対談は、2025年8月号より連載を寄稿いただいているつくろい東京ファンドの小林美穂子さんをお招きして根岸京田会長と対談をしていただきました。
山根浩県連事務局次長・司会 本日は、新しい年の特集として、医療と生活困窮支援の最前線で長年活動されているお二人にお越しいただきました。現場の実感を丁寧に伺うことは、医療・福祉に関わる私たちにとって非常に重要だと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
医療と地域の距離が揺らぎ始めている
根岸京田 私は医療生協の理事長として法人運営に携わりつつ、台東区の診療所で所長として日々診療を行っています。医療生協は、住民の方と医療者が一緒に地域の医療と健康をつくっていくという理念が根幹にあります。
しかし近年は、医療従事者の不足や業務の逼迫により、地域の活動に以前ほど深く関わることが難しくなってきたと感じています。医療の外側にある生活問題がますます大きくなっているにもかかわらず、そこに踏み込む余裕が減っている。これは本当に大きな課題です。
司会 医療と地域の間に、以前にはなかった“距離“のようなものが生まれているわけですね。
根岸 そうですね。それは医療現場の疲弊だけでなく、社会全体の変化によるものでもあります。住まい・仕事・家族・健康-どれかが崩れると一気にすべてが崩れてしまう。医療だけで支えられないケースが増え、地域側も支えきれない。その間の“谷間“に落ちてしまう人が、確実に増えています。
小林さんが支援活動に入るまで
司会 小林さんが支援の世界に入られた経緯は、非常に象徴的だと伺っています。
小林美穂子 私は現在、つくろい東京ファンドで生活困窮者支援に関わっています。拠点は中野区ですが、中野区と練馬区の区境近くに「カフェ潮の路」という居場所兼就労の場があり、名刺の上ではカフェのコーディネーターということになっていますが、なんでも屋みたいな感じです。これは、つくろい東京ファンドの事業が多いわりにスタッフが少ないため、全員が「なんでもやる」結果になっているからなのですが。
私がこの活動を始めたきっかけは、上海に住んでいた17年前の年末に、NHKワールドで見た「年越し派遣村」のニュースでした。当時、日本は豊かな国と信じていた私は、映し出される光景に衝撃を受けました。それまで私の目には見えていなかった日本の貧困に気づいた瞬間です。そこから本を読んだり、調べたりするようになり、帰国後は自分の目で確かめたいと、「ビッグイシュー」のインターンになり、路上や生活困窮者の実態に触れました。
私は飽きっぽい性格で、長く同じ職を続けられないタイプです。一通り仕事を覚えてしまうと物足りなくなって次の挑戦がしたくなる。でも支援に関しては、何年関わっていても“分かった“という心境にならない。特に対人支援の領域になると「分かっていない」ということだけが分かるような日々です。気がつけば17年が経過して、今に至ります。他者から学び、悩みながら、目の前の人に何ができるかを模索する毎日です。
司会 小林さんが、唯一“飽きられなかった領域“というのは興味深いですね。
小林 続けている職業?としては最長記録を更新中です。また、私がこの世界に入った当初と今では、「貧困」の形も相当に様変わりしてきましたので、必死にアップデートしながらの対応が続いています。
“見える困窮”から“見えない困窮”へ
司会 ではその“困窮の変化”について伺いたいのですが、17年前と今では現場にどんな違いがありますか。
小林 貧困が見えにくくなっていますよね。
かつて、「貧困」といえば路上生活者をイメージしたと思います。比較的高齢な方々です。
その後、派遣切りという雇用の問題が表面化して、リーマンショック後は若い人たちの困窮が世の中に可視化されました。最近では、ギグワークや単発バイトで何とか生計を立てている若者が増えています。空いた時間に効率よく働けるスポットバイトは、一見とても便利なシステムに見えますが、言い換えると「働けなくなった瞬間に収入ゼロ」でもあります。貯金ができるほどの収入にもなりませんから自転車操業です。
ケガや病気で仕事を中断せざるを得なくなったり、たとえばコロナ禍のような事態で仕事が減ったりすれば、たちまち住む場所を失います。家族との関係性が悪く、助けてくれる人がいなければ、家賃が払えない→ネットカフェ→ネットカフェ代が捻出できない→路上→スマホが止まる→就労すらできないーという流れが一気に進む。
司会 支援につながる前に、困窮者の生活実態が見えていないわけですね。
小林 そうなんです。しかも、ネットカフェで生活している人たちや友人宅を転々としていたり、寮から寮へと空中ブランコのようにしながら生活していたりする広義のホームレス状態にある方の数は統計には出ません。だから社会的にはホームレス人口は「減った」と見える。でも実際には、困窮はより深く、より見えない形で増えているのです。
根岸 診療所に来る若者を見ていても、それは実感します。生活がギリギリで栄養が取れない、睡眠が取れない、相談相手がいない、健康以前に“生活の土台”が崩れているケースが増えています。
外国人支援の崩壊-かつてのセーフティネットは失われた
司会 「見える困窮」から「見えない困窮」へと変化した現場を伺いました。ここからは、特に近年増えている“外国籍の困窮”について伺いたいと思います。
小林 はい。外国籍の相談は、コロナ禍以降、本当に急増しました。コロナ禍前まではコミュニティが“独自のセーフティネット”のような役割を果たしていたのだと思います。同じ国籍のつながりで仕事を紹介し合ったり、住まいを提供したり、困ったら連絡を取り合ったりと、助け合っていたんですよね。
でも、コロナでその基盤が一気に崩れました。コミュニティ全体が困窮し、余力がなくなった、“助け合いが助け合えなくなる”という事態になったんだと思います。
司会 コミュニティの力が弱まり、個人が孤立してしまう。
小林 はい、結果として「家賃が払えない」「食べるものがない」「今日泊まる場所がない」「難民申請はしたが、公園で過ごしている」という外国籍の方々からのご相談が殺到するようになりました。
根岸 医療でも似た状況があります。住所がないと保険証が届かず、制度にもつながれない。そうなると医療費は全額自己負担になりますから、受診自体が難しい。でも、病気は待ってくれませんから、症状が悪化した段階で来院することになります。「制度では対応できない。でも、目の前の患者を診ないわけにはいかない」このジレンマは、医療現場が長年抱えてきた“制度の狭間”の象徴です。
支援につながれない理由-“トラウマ”が扉を閉ざす
司会 次に、支援につながれない人の問題について伺いたいと思います。行政の相談窓口に行けず、孤立してしまう人はなぜ増えているのでしょうか。
小林 2020年の年末年始に炊き出しや相談会の現場でアンケートを実施したことがあるのですが、生活困窮しているのに生活保護制度を利用しない人の理由として最も多かったのは、生活保護の申請を親族に知られる「扶養照会」でした。過去に訪れた役所での対応や、相部屋施設への入所を理由に挙げる人も多かった。
また、自己責任論や生活保護は恥というスティグマも影響していました。スティグマを乗り越えて相談をしようにも、過去に相談先で嫌な体験をされていたら、なおさら支援にも制度にもつながらなくなってしまいます。
根岸 医療にも同じ現象があります。診察室の前まで来て、受付を済ませたのに、待っている間に不安が増して帰ってしまう方がいます。気持ちがどんどん高ぶり、「叱られるんじゃないか」「迷惑をかけるのでは」と思い込んでしまう。こうした方を責めることはできません。来られなかった理由が必ずあるからです。
小林 だからこそ行政の窓口や支援現場では、「これまで大変でしたね」「よく来てくれましたね」と、相談者をねぎらうことが必要だと思います。たとえ相談者が諸事情を抱えていて約束を守れなくても、数カ月連絡が途絶えても、また来たら「よく来てくれた」「生きていてよかった」と言ってあげてほしい。
女性の路上は「ただちに危険」
司会 特に女性の困窮は危険が大きいと言われますね。
小林 本当にそうです。女性が路上で生活するのは危険と隣り合わせです。女性は性搾取の対象にされやすいですし、暴力にさらされる危険性も高い。たくさん報道もされたので、皆さんも記憶していると思いますが、バス停で夜を過ごしていた女性が殺害された悲惨な事件がありました。
彼女がなぜ制度を利用できなかったか、利用しようと思わなかったのか。困窮した人々を制度から遠ざけるものは何なのか。制度を作る側、運用する側、そして私たちが真剣に考えて、制度をより利用しやすいものに変えていく必要があります。
医療が抱え込む“制度の狭間”-それでも目の前の患者を見捨てない
司会 支援につながれない理由や、女性の困窮が抱える特有の危険について伺いました。ここからは、医療現場で直面する“制度の限界”について話を進めたいと思います。
根岸 医療の現場には、制度の想定からこぼれ落ちてしまう人が確実に増えています。たとえば「住所がないから保険証がない」「支払い能力がないから受診できない」などのケースです。制度上はどうしようもない部分ですが、目の前の患者さんを前にすると、「診ない」という選択肢はありません。
医療は、人の生命と生活を支える最後の場所です。
しかし、制度が追いつかない領域では、医療だけが“最後の砦”として負担を背負わされている現実があります。本来は医療だけで抱えるべきではない問題でも、現場では「じゃあ、他にどこが引き受けるのか」という問いが突きつけられる。そこに、日々の葛藤があります。
司会 制度の枠内では説明しきれない人々が増えていると
根岸 そうなんです。生活の不安定さと健康は密接につながっています。住まいが不安定だと薬の管理ができない、受診の予定が守れない、体調が悪化しても休めない…。医療的な問題に見えて、実は生活基盤が原因のケースが多い。
制度はどうしても“整っていること“を前提に組まれていますが、整わないまま生きざるを得ない人が増えている。それが現代の大きな特徴だと思います。
“医療不信”と“医療への期待” -矛盾する感情
司会 小林さん、支援の現場では医療不信を抱えている方が多いと伺いました。
小林 そもそも、怖がりで病院が苦手という人もいますし、長い路上生活で忍耐が習慣化してしまい、体調不良でも病院にかからない人もいます。また、過去に受けた治療に不信感を持つ人もいて病院嫌いの理由は人それぞれですが、中には路上生活だったり生活保護だったりすることで冷たくされた経験から病院に行きたがらない人もいます。
ですが、同じ地域住民として尊厳を大切にしてくださる病院への通院は継続される方が多いです。すごく基本的なことなんだと思います。
司会 その微妙な感情の動きが、人が支援につながるかどうかを左右するのですね。
小林 そうです。だから私たちは、利用者さんが必要な医療につながり、治療を受けられるよう“橋渡し”をとても大切にしています。一方的に「病院に行ってね」ではなく、不安を抱える利用者さんには必ず同行し、医師の説明を一緒に聞き、診察内容を理解できないようであれば、何度でもあとで説明し、薬の服用を助けたり、訪問看護師と情報共有したりしています。
民医連系列の病院には、コロナ禍の混乱時にも何人もの利用者さんを助けていただき、命拾いした人もいます。ありがたかったです。
生活保護をめぐる“恥”
司会 生活保護の利用についても、制度につながる前の段階で“恥”の意識が非常に強いと伺います。
小林 はい。権利として利用できるはずの生活保護制度が、実際は自己責任論やスティグマのせいで、とても利用しづらいものになっています。行政の窓口に相談しても「もっと頑張れないか」「家族を頼れないか」と申請をさせてもらえない「水際作戦」は依然としてあちこちの自治体で起きています。頑張って何とかなるなら、あるいは頼るあてがあるなら、福祉事務所に助けを求めたりしないですよね。
水際作戦は申請権の侵害であり、生活保護法に違反する行為なのですが、相談者は「自分は制度を使えない」と思ってしまいますよね。福祉事務所の公務員が嘘をつくとは普通は思わないですし、結局決定権は職員の側にあるわけですから相談者が諦めてしまうのは当たり前です。
根岸 医療でも同じで、「なぜ早く来なかったのですか?」という言葉は、患者さんにとって責められているように聞こえることがあります。来られなかった理由が必ずある。その背景を想像することが、これからの医療には必要だと思います。
“助けるのに理由はいらない”
小林 私は若い頃にマレーシアで働いていたのですが、当時職場の近くに物乞いが何人かいました。灼熱の歩道橋に座って手を差し出す彼らのことを「ビジネス」だとか「物乞いするときはボロを着ているが、実際は大きな家に住んでいる」とかいう人もいました。私もそれを半ば信じてしまって、いつも素通りしていたんです。
ですが、現地の同僚が歩きながらとても自然な動作でコインを渡したのを見て、私は「なぜ、あげるの?彼らは本当は困っていないのでは」と聞きました。すると友人は、「人を助けない人は助けない理由をいくつも探す」と言ったんです。胸に刺さりました。
日本社会でも、困っている側の責任を問う傾向が強いですよね。そして助けない側は助けないことを正当化するためにいくつもの理由を作り出します。友人の言葉は今も私の心に刻まれています。
司会 とても本質的な言葉ですね。
都市の現実と医療の限界
司会 ここまで、医療・生活困窮支援それぞれの現場で起きている困難を伺いました。孤立がもたらす影響は都市部では特に深刻になっているようですね。
根岸 都市は便利ですが、同時に孤立しやすい環境です。隣の家の人の顔を知らない、地域活動に参加しなくても困らない。弱ったときに支えてくれる相手がいないという状況が増えています。診療所でも、「誰とも話していない」「部屋から数日出ていない」という相談が少なくありません。孤立は健康に直結します。精神面の不調が身体に影響を及ぼし、さらに生活が崩れるという悪循環が起きます。
医療者として感じるのは、医療が本来の役割以上のものを背負わされているという現状です。医療行為で治せる部分は限られていて、孤立や貧困など生活の問題が根底にある場合、医療だけでは改善できません。
“医療が最後の砦”という状態は、一見頼もしく見えるかもしれませんが、本当は社会全体の機能不全の表れだと思います。
ふらっと来られる場所の力
司会 孤立を防ぐための「居場所」が大切だと言われています。
小林 居場所は、人が回復していくうえで欠かせない“社会のインフラ”だと思っています。支援団体が運営する拠点でも、カフェでも、公共の図書館でも、公園でもいい。お金がなくても、用事がなくてもいていい場所があるといいですよね。生活保護制度につながり、路上を脱出して飢えることはなくなっても、それだけで人は生きていけません。誰かと他愛もない話をしたり、笑い合ったりする場は必要です。
つくろい東京ファンドのスタッフたちは、利用者さん達との交流をとても大事にしていて、月一回の鍋会や、春のお花見、紅葉の時期のお散歩会、クリスマス会、年越し蕎麦会などを開催しているのですが、国籍ごちゃまぜの老若男女が、決して広くはない事務所に集まり、ひしめき合ってワイワイと楽しみます。私たちスタッフにとっても楽しい時間です。
司会 医療の「待つ姿勢」とも通じる部分がありますね。
根岸 そうですね。診察に来られるかどうかだけで、その人が抱えている不安定さが分かることがあります。医療者が“待つ”という姿勢を持つことで、患者さんが次の一歩を踏み出せる場合もあります。医療と支援の共通点は、相手のペースに合わせることを大切にしている点だと思います。
“小さな変化”を見逃さない
司会 支援の中でその人の“変化”を感じることはありますか。
小林 支援の現場では、劇的な変化はほとんどありません。映画やドラマのような大逆転は起きません。でも、「今日は眠れた」「話せた」「笑えた」「ゴハンが美味しかった」など、些細な喜びの積み重ねがあったらいいなと思っています。その小さな「ちょっと楽しかったこと」がその人の「生きる」をほのかに照らすと思うので。
根岸 医療も同じです。治療がうまくいっているかどうかは、検査値の改善だけでは判断できません。「今日は少し表情が明るい」「話し方が落ち着いている」こうした変化が、回復の兆しを示すことがあります。
忙しい現場でも、その小さなサインに気づけるよう、医療者自身の心の余裕を確保することが重要だと感じています。
“信頼”こそ社会を支えるインフラ
司会 最後に、医療や支援に携わる読者へメッセージをお願いできますか。
根岸 医療の現場にいると、「この人は今日ここに来るまで、どれだけの困難を抱えていたのだろう」と感じることがあります。患者さんが来られなかった理由、治療を中断した理由には、必ず背景があります。
私たちができるのは、その背景を想像し、非難ではなく理解の姿勢で向き合うこと。その積み重ねが、医療への信頼を取り戻していくのだと思います。
小林 民医連の病院や診療所には、私たちの関わる利用者の皆さんが大変お世話になっています。過去に粗雑に扱われて傷つき、病院嫌いになったり、喧嘩してしまって出禁になったりした短気な利用者さんも、今では大切にしてくださる医療者の皆さんを信頼しています。
人はそれぞれ異なる環境で異なる経験を歩いてきています。なので、自分の物差しで他者は測れない。私はキャパが小さい人間なので、共感できない人もいますし、理解できないなと思う人もいますが、別に理解や共感ができなくてもその方の人権は守られるべきです。
もちろん、彼らも最低限のルールは守らなくてはいけませんし、支援する側の人権も蔑ろにしてはいけないのは前提として、目の前の一人の困りごとを取り除くために支援者も医療者も知恵と力を出し合っていくことができれば思います。そして、隣人の一人として関係性を築いていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。
司会 本日はありがとうございました。
~つくろい東京ファンドからのお願い~
クラウドファンディング実施中、ご支援よろしくお願いします


輝け看護!
優しさを問い続けた34年 看護師としての到達点
国家試験の合格発表日、「日本一優しい看護師になる」と志してから34年、節目ごとに自分に問います。すると「優しい看護師」像が、職場、時代、経験によって変わることに気がつきます。
今の到達は「その方が大切にしていることを大切にできる看護師」です。さかのぼって、看護師15年目、訪問看護。Mさんは、音楽家の夫をもつ品格ある令夫人、若年性パーキンソン病でした。看護内容はリハビリでしたが、訪問時に手作りお菓子でおもてなし。病状の進行につれ、上半身が90度以上に前屈し、お菓子に顔が付くようになっても続きました。それを支えたのは娘さん。訪問前日に指示された材料を調達し、Mさんが出来ない作業だけをサポートします。おしゃべりしながらお菓子をいただき、訪問が終わります。
あれから十数年。Mさんの逝去後も、毎年娘さんと思い出話に花が咲きます。毎回お菓子の話になり、「大変だったよね~」「お母さんらしいよね~」。Mさんはお菓子作りだけでなく、主婦として家族の役に立ち続けることを何よりも大切にしていました。Mさんの生き様や娘さんの思いにふれ、Mさんの大切なものは、自然と私の大切なものになりました。それが看護師の優しさと考えるように。
「すべての人が人間らしく、その人らしく生きていけるよう、あらゆる場面で援助する無差別・平等の看護」が私達の目指す看護です。
理念を学び実践することで、私の看護師人生が「ホンモノ」へと近づく。民医連の理念との出会いに感謝しています。しかし、体制や経営が厳しい時、理想は簡単に姿を消します。だからこそ理念をもち、誰のために、何のためにと、問い続けることが大切だと思うのです。そして、東京民医連看護部2156人、一人ひとりの看護が光り輝きますように。輝け看護!
(東京保健生活協同組合 高野好枝)