機関誌「みんいれんTOKYO」2026年6月号
News
機関誌「みんいれんTOKYO」2026年6月号
平和とケアの倫理を貫く
8年ぶりの再会、響き合ういのちのバトン
第35回東京民医連看護師部会総会開催
5月16日大宮ソニックシティ小ホールにて、コロナ禍を乗り越え、実に8年ぶりの現地開催となりました。本総会では、直面する深刻な人材不足や経営課題への対策が具体的に議論されたほか、「ケアの倫理」と「平和への思い」が参加者全体で強く共有されました。
開会と会長挨拶
司会の館野美冴氏(東京保健生協)の進行により開会し、東京民医連理事会を代表して根岸京田会長からのビデオメッセージが上映されました。
根岸会長は、看護現場の過密化や構造的な人員不足に触れ、「ケアが社会の中で正当に評価されてこなかった歴史がある」と指摘しました。そして、誰かの困難を放っておかない「ケアの倫理」の実践こそが民医連の真骨頂であると述べ、最前線で奮闘する看護師の皆さんへ深い敬意を表しました。
記念講演
続いて、川嶋みどり氏(健和会臨床看護学研究所所長)が、「看護師として母として“戦争だけは駄目”〜平和に向けての強い思い〜」と題して講演を行いました。
95歳を目前にした今も、看護の第一線で「いのちの尊厳」を問い続け、自身の戦争体験と、専門職としての責務を語るその言葉には、平和を希求する強い意志が込められていました。
川嶋氏の原点は、1945年8月15日の敗戦にあります。当時は北京の女学校2年生。学業の代わりに軍服の修理作業に明け暮れ、「聖戦」と信じてお国の役に立ちたいと願う軍国少女でした。しかし敗戦を境に昨日までの「正義」は「不正義」へと180度ひっくり返りました。戦後の食糧難で山の実「むかご」を粥に混ぜて啜るような苦しい生活の中、川嶋氏の心に希望を灯したのは、1946年に公布された日本国憲法でした。「主権在民」「恒久的世界主義(平和主義)」「基本的人権」-。
「日本は二度と戦争をしない国になるのだ」という解放感と感動は、今も鮮明な記憶として残っていると語りました。
救護看護師の苦悩
看護師となった川嶋氏は、戦地から帰還した赤十字の先輩たちの無念に触れます。戦時下、救護看護師たちは「国家への義務」として召集されましたが、そこで待っていたのは、医療者として耐え難い矛盾でした。「必死に看病して治した兵士を、再び戦場へ送り出さなければならない。助ければ助けるほど、彼らを死なせる(殺させる)ことになる」。この葛藤こそが従軍看護師たちの真の悲劇であったと説きます。
殺人を合法化する戦争は、生命を尊重する医療者にとって最大の「敵」であり、看護の技術を戦争に協力させてはならないという確信が、川嶋氏の平和運動の根底にあります。
日常の暮らしこそが「尊厳」
川嶋氏はケアの原点を「母親が赤ちゃんにおっぱいを飲ませる姿」に見出します。「無条件の愛と信頼の相互作用」こそが平和の象徴であり、空襲警報下では真っ先に奪われるものです。
また、難病を患う青年が語った「戦争で殺されるのではなく、病気で死ねることが幸せだ」という言葉を引き、「尊厳ある生は、平和あってこそ達成できる」と強調しました。朝起きて顔を洗い、食事をし、排泄をする。こうした「ありふれた日常の営み」を自分らしく送れることこそが尊厳であり、それを守るのが看護の役割です。
憲法25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活」とそれを保障する国の責任を指摘し、現在進行形の医療・介護現場の危機についても「ケアをおろそかにする政治は人権の抑圧に通じる」と厳しく断じました。
専門職としての社会的責務
講演の終盤、川嶋氏は現在も世界で続く紛争(ウクライナ、パレスチナ・ガザ、ミャンマー)に言及しました。ガザの子どもが、死んでも身元がわかるように「足に名前を書いて、ママ」と願う詩を引用し、「死者の数は単なる数字ではない。一人ひとりに名前があり、家族があるのだ」と、想像力を働かせることの大切さを訴えました。
そして、医療・福祉に従事するすべての人、そして次世代へ向けて次のように結びました。「平和を守り抜くことは、人間が生きることの保障です。戦争を防ぐ世論を高めることも、いのちを守る専門職としての社会的責務です。這うこともできなくなった老女の手にも、まだ平和を守る一票があります。皆さんも、歴史を創る一人としての自覚を持ち、今できることは何かを話し合ってください」
75年の看護実践に裏打ちされたその言葉は、参加者一人ひとりの胸に、平和へのバトンとして力強く手渡されました。
議案提案
講演後、宮澤和美氏(健友会)と谷尾朋代氏(健生会)を議長に選出し、第57期総括案と第58期方針案、基礎教育研修指針改定案、第57期会計決算と監査報告、第58期会計予算案の提案が行われました。
現場からの活動報告
議案提案後、3つの特別報告が行われました。
①本澤薫氏(大田病院)/1億6000万円の赤字という法人存続の危機に直面する中、病床管理委員会を発足。面会制限の緩和や看護人員の適正配置見直しを通じ、病床稼働率90%以上を維持し、経営改善に大きく貢献した。
②山田かおる氏(東葛看護専門学校)/看護学校の定員割れが進む中、地域医療のインフラとして看護師を養成し続ける意義を強調。国への補助金増額運動や、閉校危機にある地域の署名活動など、学校を守る力強い取り組み。
③内倉恵美氏(看護管理者研修責任者)/6年ぶりに再開された福島フィールドワークや「客観的視点」「リフレクション」を持つ学びを通じて、多角的な視野で現場を牽引する看護幹部が成長している姿。
さらに、事前の発言要旨の提出から、
〇急性期病院として生き残るための現場の意識改革(小野寺亜美氏・立川相互病院)
〇地域包括ケア病棟の利用者増に向けた徹底した地域連携(茂木基子氏・東葛病院)
〇事業所大型化に伴う職員の不安解消と合同学習(鈴木明理氏・さいと訪問看護ST)
〇地域完結型医療を支える看護師のキャリア形成(佐藤未智子氏・王子生協病院)
〇技能実習生に対する国境を越えた無差別平等の医療実践(山路智子氏・小豆沢病院)
など、多彩で力強い実践が共有されました。
議案採択
その後、全議案の承認と閉会。出席代議員174名、委任状29名により総会の成立が確認され、4つの議案はすべて賛成多数で承認されました。
新旧役員の紹介後、高野好枝東京民医連前副会長が閉会の挨拶を行いました。世界的な軍拡や国内の社会保障削減という厳しい情勢に触れ、「困難な時こそ仲間とつながり、支え合い、民医連らしく前に進んでいきたい」と力強く呼びかけました。参加者の大きな拍手のもと、仲間と手を取り合い協力し、民医連らしさを追求・発展させる決意を固める総会となりました。
輝け看護!
戸惑いから確信へ。患者の「意思」を尊重し、「最期まで自分らしく」を支える役割
自宅退院を強く希望した独居の高齢患者Aさんとの関わりから学んだことを紹介します。
私たちは入院当初、病状やADL面を考慮すると老健施設への退院が適切ではないか、と考えていました。しかし本人は「家に帰りたい」「最後まで自分で生活したい」と強く希望されました。独居、内服管理、転倒リスクなど、安全面を考えると自宅退院は容易ではありませんでした。
入院期間が長くなるにつれ、「どうせもう長くない」「ここにいても意味がない」など悲観的な発言が増えていき、看護師への暴言もみられるようになりました。当初、対応に戸惑いを感じていましたが、関わる中で「自分で生きる場所を選べない苦しさ」や「自宅へ帰れない不安」を抱えているのではないか、と感じるようになりました。
そこでMSWや医師、多職種との合同カンファレンスを行い、訪問看護や介護サービス導入など、在宅支援に向けて検討しました。自宅退院の調整が進み、Aさんも次第に表情が穏やかになっていきました。「家に帰れるなら頑張りたい」と前向きな言葉も聞かれ、リハビリにも積極的な姿勢がみられるようになりました。
この経験を通して「安全に生活できる場所」が必ずしも本人にとって最善とは限らないとわかりました。医療者としては、常に見守りができる老健入所が安心です。しかしAさんにとっては、自分らしく生活し、自分の意思で生きることが大きな活力につながっていたのです。
たとえ自宅で一人で亡くなる可能性があったとしても、本人が望む生き方を支えることは、看護の大切な役割であると学びました。
(大泉生協病院 荒木志保)