東京民医連

東京民医連のご紹介

みんいれんTOKYO(機関紙)1面の記事の抜粋です

被災者救援 民医連の真価発揮 医療を 薬を 生活物資を 一刻も早く!

 大震災にあたり、各法人事業所で多くの支援や募金活動が取り組まれています。(各法人事業所の支援ニュースから)

東京ほくと医療生協

出発する第1陣派遣メンバー
出発する第1陣派遣メンバー

 緊急支援会議を開催。まず16日から第1陣の派遣を行い、19日から第2陣を派遣しました。医師はじめ職員が参加しています。

透析患者さん7人受け入れ 生協北診療所

 茨城保健生協の城南病院から、透析患者さん30人を東京民医連の事業所で受け入れることになり、生協北診療所では7人の患者さんを受け入れました。

健友会 第1次医療支援チーム報告会

健友会・東医研第1次医療支援チーム
健友会・東医研第1次医療支援チーム

 坂総合病院は、支援者であふれていました。17日はトリアージ外来緑ブースを担当。診療開始から列ができており、子どもを抱いたお母さんの姿も多く、発熱、インフルエンザの症状を訴えられました。
 18~19日は、長町病院で活動しました。リハ室に「避難所」を作り、長町病院や坂総合病院から退院しても自宅に戻れない人、避難所の人計11人を受け入れました。家を流された80代女性も病院「避難所」にきました。
 阪神淡路大震災を経験した東神戸病院の看護師が采配をふるっていました。私は当直もしました。
(中野共立病院副総師長・原由絵)

東都協議会 パニック発作精神状態限界

水が引かない津波の惨状
水が引かない津波の惨状

 第1次災害支援チームの14人(全日本民医連=鹿児島・島根などが同行、23人で13日現地入り)が、15日早朝4時に、みさと健和病院に無事帰ってきました。
 箕輪医師が、救急トリアージ赤ゾーンに配置になりました。赤ゾーンでは、11日は低体温や水没などの方が多く、12日は骨折関係が多かったということです。
 赤ゾーンは、被災による精神的な自傷行為の方やパニック発作の方などがいました。被災者の精神状態も限界に近いかなと感じました。
 瓦礫の中から見つかった方や、電気復旧後に通電火災になってしまって運ばれてきた方もいました。
 全体的には、意識障害の方が多いと感じました。
 また、協議会のつばさ便は、物資輸送に奮闘しています。

東京勤医会 被災地の様相報告集会開く

報告会で左から宗川看護師、利行看護師、岡安医師、濱砂医師
報告会で左から宗川看護師、利行看護師、
岡安医師、濱砂医師

 13日早朝、東葛病院を発って坂総合病院に行った6人は、16日早朝、無事病院に帰りました。18日、7階会議室で報告集会が開かれ、坂総合病院の様子、被災地の患者さんの様子が報告されました。
 第一陣で駆けつけた濱砂医師は、「現地の受け入れ態勢が十分でなく、混乱を極めた。すべてトリアージ診療。脱水、痰づまりの患者さんに吸痰機が使えなく、シリンジを使って痰を引いたりゴムボートのポンプを使っての吸痰、中には直接カテーテルを口で吸った家族もいた」と話されました。
 赤のタグコーナーを担当した事務の安藤さんは、「朝運ばれてきて、午後には黒のタグが付けられた患者さんが半分。残り半分は入院」と、被災地のすさまじい現状を報告しました。

東京保健生協 8人が3日間フル活動

 21日20時半、8人が無事に帰ってきました。医療支援や物資を避難所に届ける活動など、3日間フル活動してきました。
 根岸院長や看護師は避難所回り、2人の若手医師は外来当直に入るなどフル活動。また、東京健生病院から出発した18日夜、「緊急車両」の張り紙を見たタクシーの運転手さんが車から降りてきて、「実家がいわき市です。被災地に渡してください」と1万円を託されました。

病体生理研究所 津波の爪痕が

鈴木所長(右)と折笠専務
鈴木所長(右)と折笠専務

 仙台市若林区近くは、津波の爪痕が広がっています。海からかなり距離がありますが、木がなぎ倒され田んぼが泥と瓦礫で埋まっています。
 塩釜港に寄りましたが、建物は特に1階がメチャメチャで、壊れた車がゴロゴロしており、この世のものとは思われませんでした。ガソリンスタンドはどこも長蛇の列です。車が壊されたためか、自転車の人が多いです。(3月23日)

健康文化会

救援物資をぎっしり詰め

 食料、マスク、医薬品など救援物資をぎっしり詰め込んで、16日12時30分、宮城民医連坂総合病院へ出発しました。
 東京民医連の支援隊に合流。19日まで活動しました。東京民医連のほかにも、神奈川・兵庫・奈良・群馬・鳥取・大阪と、全国の民医連の仲間が続々現地入り。被災者の診療、避難所での体調チェックなどで奮闘していました。

食料、マスク、医薬品など物資を積み込む
食料、マスク、医薬品など物資を積み込む
(写真左から、診療情報室小澤、西坂小豆沢病院事務長、飯塚看護師、川口看護師、吉川医師の5人)(写真左から、診療情報室小澤、西坂小豆沢病院事務長、飯塚看護師、川口看護師、吉川医師の5人)

病院前で 駅頭で 募金訴え

共立医療会 義援金52万円余と物資託す

「東北関東大震災救援募金・支援物資受付所」を設け、協力を呼びかけました
「東北関東大震災救援募金・支援物資受付所」を
設け、協力を呼びかけました

 共立医療会は対策本部を立ち上げ、日常診療・介護活動の確保、現地支援活動について検討。本部長の杉山理事長を先頭に、毎日奮闘しています。
 3月19日発の健生会緊急支援第3陣に、共立医療会に寄せられた義援金52万円余と緊急支援物資(毛布、マスク、衣類、オムツ等)を託しました。

西都保健生協 清瀬駅前でもカンパ取組む

清瀬駅前で取り組んだ救援募金には、多くの善意が寄せられました
清瀬駅前で取り組んだ救援募金に
は、多くの善意が寄せられました

 西都保健生協では班会などでカンパを呼びかけるとともに、街頭でのカンパ活動にも取り組んできました。15日は清瀬駅前で職員3人、組合員2人でカンパを訴えました。
 この間寄せられた25万8832円のカンパと支援物資を積み込み、16日朝、小津源さん(事務)を、健生会の支援チームとともに現地へ派遣しました。
 引き続き、班会や駅頭でのカンパ活動に取り組んでいます。

城南3法人 チャリティーバザーで支援

チャリティー・バザーにも取り組みました
チャリティー・バザーにも取り組みました

 大田病院の秋山真之医師、橋場晶子看護師、大森中診療所事務の伊藤邦夫さん、城南保健生協事務の野口修二さんが、支援物資を積み込み、坂総合病院へむけて出発しました。
 大田病院では、入院患者さんから、「大田病院から支援に行くと思うので託します」と、5千円の義援金が寄せられたり、城南保健生協の水泳チーム・ドルフィンでは、会員・コーチ19人がチャリティーバザーを開催して5万円以上を集めたりと、支援の輪が広がっています。

健生会 すさまじさに言葉失う

七ヶ浜周辺は、すさまじい光景だった
七ヶ浜周辺は、すさまじい光景だった

 22日の14時半に坂総合病院到着。第3陣と引き継ぎし、現地スタッフによるオリエンテーションを受けました。22日までに1500人の患者さんが来訪し、トリアージを通過していること、23日からは通常診療に切り替えることなどの説明がありました。
 オリエンテーション後、被害が大きかったという海岸沿い(七ヶ浜周辺)を視察。テレビで見たすさまじい光景を目の当たりにし、言葉を失いました。
(立川相互病院事務・米内悠介)

東京芸術座の支援で物資輸送

 今回、劇団のトラックで全国の皆さんの支援物資の搬送をしています。
 16日、「劇団のトラック出せないかなと本気で思った」とつぶやいたら、「運転手やるよ」と先輩からの返事。民医連の友人が現地から帰ってきたと聞き、17日に支援の相談をし、東京平和委員会の岸本事務局長の運転で、19日に塩釜の坂総合病院、23日には小名浜生協病院へ行きました。
 いつもはお芝居を届けに走る東北道や常磐道。被災地は何度も足を運んだことのあるところがほとんどです。
 先輩、後輩から「運転やります」という声が届いています。つながりの中で実現した協力体制。ありがとうございます。(東京芸術座・たかのきよこ)

運転手の岸本さん(左)と髙野さん運転手の岸本さん(左)と髙野さん 小名浜生協病院へも物資を届けました小名浜生協病院へも物資を届けました

共同事業所が支援で力を発揮 リップル

 停電などで食事の供給が困難になった宮城民医連の給食供給センター・セントラルキッチンからの支援要請に応えて直ちに対応、12日夜には第1陣の12800食を積んで現地に向かいました。

協立医師協同組合

 マスク、ガウン、ゴーグル、消毒薬などを現地支援物資として届けました。また、大手医薬品問屋の流通センターが被災し医薬品の供給にも影響が出る中、透析患者など被災県連からの患者受け入れにも支障が出ないよう奔走しています。

東葛病院も被害 給水設備が破損

震度5強に揺れた首都圏、東京民医連の事業所も被害を受けました
震度5強に揺れた首都圏、東京民医連の事業所も被害を受けました