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みんいれんTOKYO(機関紙)1面の記事の抜粋です

3・11東日本大震災から10年

 多くの職員が衝撃を受けた東日本大震災。地震と津波により1万5千人以上の尊いいのちが奪われました。その後に続いた福島第一原発事故は決して「想定外」ではすまされない大きな被害を福島および周辺住民に与え、15万人以上が避難を余儀なくされ、10年経過した現在も3万人以上が故郷に帰れません。原発事故の恐ろしさは決して風化させてはなりません。
 しかし、今、被災地である女川原発の再稼働を知事が容認、稼働40年の当初耐用年数を越えた高浜原発の再稼働を町長が容認するなど原発再稼働の動きが活発化しています。2014年5月の大飯原発運転差し止め訴訟(福井地裁)判決は、大飯原発の運転によって人格権が侵害される具体的な危険があるとしました。この判決を下した元裁判官の樋口英明さんに、判決によって守ろうとした人権、原発の危険性などについて寄稿していただきました。

 

人格権と原発事故
   元裁判官 樋口 英明

人格権とは
 私は、2014年5月21日、関西電力に対して「大飯原発を運転してはならない」と命じる判決を言い渡しました。その理由は、大飯原発の運転によって住民の人格権が侵害される危険があったからです。
 人格権とは国民一人ひとりが有する生命、身体、精神及び生活に関する利益の総体を指し、その根拠は憲法13条にあります。
 具体的には、精神的利益の一部であるプライバシー権や名誉権が人格権としてあげられます。例えば、本の出版によって自分の名誉が毀損され、あるいはプライバシーが不当に暴かれる場合にはその本の出版を差し止めることが認められることもあるのです。名誉もプライバシーも生命と生活が維持できてこその話ですから、生命を守り生活を維持するということは人格権の中でも特に重要だといえるのです。したがって、原発事故によって放射性物質が拡散され生命を守り生活を維持することが困難となる危険があれば、人格権に基づいて原発の運転の差し止めを求めることができるのです。これは私特有の考えではなく、法曹三者(裁判官、検察官、弁護士)の中では極めて当たり前の考え方です。
 問題は、どの程度の危険があれば原発の運転の差し止めが認められるのかということです。人格権は各種の人権の中でも最も基本的で重要な権利であり、電力会社の経済活動の自由(憲法22条)よりも、上位の権利です(これも法的には争いがありません)。15万人余の人びとのその権利が福島原発事故によって奪われたのです。福島原発事故ではおよそ考えられないような数々の奇跡がありました。それらの奇跡のうちの一つでもなかったら、15万人の避難ではなく、4000万人が避難しなければならなかったのです。東日本は壊滅の危機にあったのです。
 これらのことからすると、福島原発事故のような事故が万が一でも起きる危険性があるならば差止めを認めるのが正しいのです。これが大飯原発福井地裁判決に示された基本的な考え方です。

 

現実的で切迫した危険
 しかし、私は、大飯原発に万が一の危険があるからという理由だけで運転を差し止めたのではないのです。判決には「大飯原発の危険性は万が一の危険という領域を遥かに超える現実的で切迫した危険だ」と書きました。その意味を説明します。
 危険というのは「事故発生確率が高い」という意味と、「被害が大きい」という意味の二つがあります。例えば、母親が子どもに「そこの交差点は見通しが悪くて危険だから気をつけて」と言った場合の危険とは事故発生確率が高いことを意味します。また、子どもに「自転車で行くのだったら危険だからヘルメットを被ってね」と言った場合は、ヘルメットを被っても被らなくても事故発生確率は変わりませんから、母親は子どもが頭を打って大けがをすることを心配しているのです。被害の大きさを問題としているのです。そして、被害の大きさと事故発生確率は概ね反比例するのです。例えば、時速300kmで走る新幹線はトラックと衝突して脱線転覆すると大惨事になりますから、踏切自体をなくしています。漁船と大型旅客船、セスナ機と大型旅客機を比べても同様のことがいえます。だから、福島原発事故を経験した後においても、多くの人が「原発事故はあれだけの被害を及ぼすのだから、原発はそれなりに事故発生確率が抑えられているはずだ」と思うのです。理性的な人ほどそう思ってしまうようです。
 ところが、原発事故は東日本を壊滅させるほどの大きな被害を及ぼしうるにもかかわらず事故発生確率も高いのです。いわば原発はパーフェクトの危険なのです。
 核燃料のエネルギー量は極めて大きく、核分裂反応を止めた後も、電気で水を送り続けて核燃料を冷やし続けないと、核燃料は自らの熱によって溶け落ちます。いわゆるメルトダウンです。分かり易く言うと、原発は断水しても大事故、停電しても大事故になります。そして、断水と停電をもたらす最も大きな要因は地震です。したがって、原発には高い耐震性が求められます。
 新しい建物は震度6強から震度7にかけての地震で倒壊しないように建築することが建築基準法によって命じられています。もちろん原発の原子炉や建物も震度6強から震度7にかけての地震に耐えることができます。しかし、原発の配管や配電関係は震度6弱の耐震性しかありません。だから原発は、震度6強の地震に襲われると断水や停電によって極めて危険な状況となり、震度7の地震に襲われると絶望的な状況に陥ります。
 したがって、大飯原発の地震による危険は「万が一の危険という領域を遥かに超える現実的で切迫した危険」なのです。なにしろ、震度6強の地震に耐えることができる一般住宅よりも耐震性が低いのですから。

 

 

人格権を守るために
 自分の物が奪われたり奪われそうになったときは、その救済を裁判所に求めることができます。人格権は所有権よりも更に大事な権利です。人格権が侵害されそうになったときに、裁判所に救済を求めるのは当然の権利であり、裁判所もそれに応えなければなりません。しかし、私たちも他の人の人格権が侵害されたときに、裁判所に任せきりにしたままで、黙って見ているだけでは結局自らの人権も守れなくなるのです。人権は国民の不断の努力によってこれを保持しなければならないのです(憲法12条)。

 

キング牧師の言葉
 「究極の悲劇は悪人の圧政や残酷さではなく、それに対する善人の沈黙である。結局、我われは敵の言葉ではなく、友人の沈黙を覚えているものなのだ。問題に対して沈黙を決め込むようになったとき我われの命は終わりに向かい始める。」

 

樋口英明さんのプロフィール
 1952年、三重県生まれ。京都大学法学部卒業。83年に判事任官。静岡地裁、名古屋地裁、大阪高裁などを経て、福井地裁。2017年に名古屋家裁を最後に定年退官。