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みんいれんTOKYO(機関紙)1面の記事の抜粋です

ロシアはウクライナ侵略を止めよ!
憲法9条生かす東アジアを
三多摩健康友の会会長・弁護士 窪田 之喜

「侵略止めろ」の声をそれぞれのまちから、世界に

 世界中の声に呼応して、私の住む日野市においても、集会やパレード、「ウクライナ支援コンサート」がもたれ、署名運動・募金運動が進められています。

 

悲惨な第一次大戦の体験から不戦条約へ
 今、ロシアの侵略は世界中から批判されています。しかし、私たちが歴史として学んできた中国のアヘン戦争(1840年)、インドのセポイの乱(大反乱)(1857年)など大国の侵略行為は野放しでした。
 戦争を大国の権利から、違法で許されないものに転換したのは第一次大戦の経験でした。第一次大戦は、1914年7月から4年余、戦車や飛行機など戦争手段も飛躍的に変化した総力戦となり、戦闘員900万人以上、非戦闘員700万人以上という空前の死者を出しました。
 この悲惨な体験から、1920年1月に国際連盟がスタートし、戦争防止をかかげました。1928年の不戦条約は、第1条で「国家の政策手段としての戦争を放棄すること」を宣言して侵略戦争の禁止を明記し、日本もこの条約に参加しました。

 

日本が不戦条約違反の一番手、 そして第二次大戦へ
 しかし、日本は1931年9月18日、南満州鉄道爆破事件から満州事変を引き起こし、最初の不戦条約違反国となりました。それは、日中戦争、太平洋戦争に至る無謀な15年戦争となりました。日本が第二次大戦の引き金を引いたのです。

 

国際連合憲章と日本国憲法による新たなスタート
 1945年10月24日、国際連合が発足し、その憲章は「国際紛争を平和的な手段によって解決」することを謳いました。
 日本国憲法は、前文において「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、諸国民の平和的生存権を確認しました。第9条において戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を誓って、徹底した平和主義を約束しました。

 

憲法9条誕生のドラマ「押し付け憲法か自主的憲法か」
 自民党は1955年の結党以来、憲法9条は押し付けられたものと言い続けています。
 しかし、1946年1月24日に幣原首相がマッカーサーを訪ねて、戦争の放棄、戦力不保持の発言をしたことから9条が生み出されたという事実は、諸資料から明らかです。(笠原十九司『憲法と幣原喜重郎』、田中英夫『憲法制定過程覚書』等参照)
 幣原は、第一次大戦後の平和外交の旗手であり、満州事変時の外相でしたが、事変を知って外交的解決を主張して軍部の力で排除されました。戦後の民主改革時に幣原は、憲法9条誕生の力になったのです。

 

第二次大戦後の世界、 米ソ大国による国連憲章違反
 第二次大戦後の世界は、日本国憲法の成立直後から、米ソ対決の時代になってしまいました(同時に、植民地諸国の民族独立の時代)。
 憲法第9条は、米日両政府によって無視・削除の対象とされてきましたが、国民運動で改憲が阻止され、若者の命を守り、軍事費をおさえる力になってきました。
 1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、韓国軍+国連軍(米軍)と北朝鮮軍+中国人民義勇軍の激しい戦いとなり、南北併せて400万人の戦死者を出しました。戦争勃発直後の50年7月8日、マッカーサー命令で警察予備隊(自衛隊)がつくられました。
 1965年から、アメリカはベトナム戦争に介入しましたが、1973年1月27日のパリ和平協定でベトナムから完全撤退(米国史上初の敗北)しました。米国は最大約55万人の兵力、戦費1300億ドル、投下爆弾70万トン(広島型原爆385個分)を投じましたが、戦死者5万8000人、韓国など同盟軍の死者5221人などの犠牲を出して敗退しました。ベトナム側も戦死者90万人、民間人の死者120万人重軽傷者320万人と公表されています。ベトナム戦争には、韓国、フィリピン、タイなどの軍隊が動員されましたが、日本の自衛隊員は9条で守られました。
 世界的には、ソ連によるアフガン侵略があり、2001年の9・11米同時多発テロ事件以後、アメリカのイラク、アフガン等への中東派兵がありました。日本は、アメリカの執拗な派兵要求により自衛隊派兵に至りましたが、国民は憲法9条を力に自衛隊の武力行使を許していません。
 2015年9月の安倍内閣の下で、日本の存立危機事態等において自衛隊の海外派兵、武力行使を可能とする違憲の安保法制が強行されています。

 

私たちの運動のあり方について
 私たちは、今、ロシアによるウクライナ侵略を絶対に許されない蛮行として批判しています。ロシアの姿は、かつての日本軍国主義の姿です。「反省して、批判する」、それが日本国民の義務であると思います。
 そして、ロシア対NATOという二極対決構図をアジアに持ち込ませないことの大事さを痛感します。安倍元首相のように二極対立の視点で中国対日米韓豪の「対決する東アジア」にしてはなりません。
 今、米中対決構図の最前線にされているのは、奄美大島から与那国島、台湾に及ぶいわゆる第一列島線(北部)を形成するミサイル基地群でしょう。「敵基地攻撃能力」の役割が課されています。辺野古基地建設もその一環です。「第二の沖縄戦の悲劇」の舞台が着々と造られているのです。司令基地となっている横田基地を持つ東京も同様の位置にあるでしょう。

 

コロナ禍で学んだことに加えて
 コロナ禍で私たちは、「いのちが第一」の社会と政治を再確認しました。憲法25条・13条を実現する社会です。そしてロシアの侵略から、憲法9条を生かす政治の原点を再確認して、来たる参議院選挙に向き合いたいと思います。

 

窪田之善さんのプロフィール
1945年生。新潟大学卒。1975年弁護士登録。日野市民法律事務所所属
1983年4月から山梨勤労者医療協会の和議再建闘争に参加
七生養護学校事件、国立上原元市長住民訴訟、桧原村住民訴訟、日野市ごみ搬入路住民訴訟等弁護団参加
日野市民自治研究所顧問/日野市民連合事務局員/日野市民九条の会事務局長/国民救援会日野支部長三多摩いしずえ会会長/三多摩健康友の会会長