東京民医連

輝け看護!

みんいれんTOKYO(機関紙)の「輝け看護!」コーナーから

「お父さんらしかったね!」

 今から8年前、脳梗塞で右不全麻痺になり車いす生活になってしまったAさんに訪問開始。60歳代。お子さんは8人、末っ子はまだ2歳。車いすでも、競輪 などギャンブル三昧。喘息で入院をしても「タバコがすえない」と自己退院。「自分の好きなように生きている人」で、歴代の担当看護師も手をやいていた。
 1年前、Aさんの担当になった。自力で車いすに移乗することが困難なうえ、肺がんが疑われていた。自由すぎるAさんに家族は疲れていた。しかし「預けた いが、どこも引き取ってくれない」という状況だった。それでも、家族で話し合った結果、自宅で看る方向に決めた。
 亡くなる1カ月前、全身のむくみと傾眠傾向が現れ、腎機能が悪化した。医師から、「緊急透析をしないと生命の危機があること、透析をしたとしてもリスクは高いということ」を告げられた。
 妻は、子どもたちに「透析には本人がきちんと通えない。またこれ以上、辛いことはさせたくない」と伝えた。医師から「1週間がひとつの目安」と言われた。
 子どもたちは、Aさんと約束していたツタンカーメン展に、介護タクシーで連れて行った。マッサージをしたり、オムツを替えたり、部屋の掃除をしたり、一週間頑張って介護した。
 「テレビのドラマのようにならないのはなんで?一週間してもまだ生きているよ」「1週間以上生きるなら、透析をした方が良かったの? 私たちはお父さんを殺してしまうの?」と悩む子どもたちに、往診医から説明してもらった。
 「透析は勧めない。いま家にいることが、お父さんにとって力になっている。穏やかな表情をしているよ」。聞いている子どもたちは、必死で真剣だった。
 翌日の昼、子どもたちと妻が見守るなか、眠るようにAさんは永眠された。「私たち間違っていなかったかな。いろいろ不安だったけど、家にいられてよかっ た」「お父さん、明るいことが好きだったからピンクの洋服でお葬式に行こうか」と、泣いてエンゼルケアをする娘たちに私も涙した。
 在宅だからこそ、その人の病気だけではなく、Aさんを取り巻く家族にも寄り添う看護ができ、子どもたちの成長も目の当たりにできた。訪問看護師冥利につ きる。その人にとって何が幸せか再確認できる出会いだった。だから、訪問看護はやめられない。Aさん一家に幸あれ。
 (北千住訪問看護ステーション・2013年2月号掲載)