東京民医連

輝け看護!

みんいれんTOKYO(機関紙)の「輝け看護!」コーナーから

「ねえちゃんの最期」にかかわって

 Aさんは母親と二人暮らし。59歳で卵巣がんを患い、外科的治療や化学療法を受けた。徐々に生活に援助が必要となり、62歳で母親とともに妹夫婦宅に移り療養を始めた。
 X年4月、訪問診療開始と同時に訪問看護を週1回(隔週)から開始。「病気のことはすべて知っています。今は妹に世話になっているけど、最期は病院に行きます」が、初回面接時の言葉だった。
 当初の介護は、妹さんが食事を工夫し、義弟が毎日下腿リンパマッサージをおこなうぐらいだった。
 11月、病状進行とともに家族介護が少しずつ増え、介護保険申請をアドバイス。認定は受けたが、サービスは利用しなかった。
 翌年7月、週に1回シャワー浴の介助を訪問介護と協力して開始。実際のケアはヘルパーが実施し、見守り中、私たちは長期になっている介護に対する不安や葛藤などの妹さんの思いを聞くことができた。
 妹さんは姉ちゃんへの遠慮、夫への遠慮で自宅介護は限界ではと感じていた。一方、Aさんはこの時も自宅での生活を強く望んでおり、Aさんと妹さんが今の気持ちを確認し合う必要があると判断し、2人で話し合うことを妹さんに提案した。そして2人での相談の結果、緩和ケア病棟に入院すると決めた。
 緩和ケア病棟入院まで急な体調変化の際は入院できる病院があることを医師が約束し、看護師はいつでも援助できることを伝えた。病状は進行し意識が朦朧(もうろう)となることが多くなった時期に、思い切って在宅看取りを提案した。
 妹さんは、「覚悟しました。こんな状態の姉をこの家から連れ出すのは可愛そうと」と話され、そこから看護師・ヘルパー・家族での療養生活となり、20日後、看護師と妹さんとのケアの直後に67歳で永眠された。
 最期にお世話をしたとき、「仏様みたいだね」と妹さんが言い、迷い、葛藤し悩んだが、結果として最期にはAさんの思いを汲んだ対応に妹さんは満足していた。
 終末期ケアで利用者の思いを叶えることは容易ではない。看護師が患者家族の思いをつなぐ役割と、「いつでもそばにいて援助しますよ」という気持ちを伝えることの大切さを学んだ。
(羽田訪問看護ステーション・2014年3月号掲載)