東京民医連

輝け看護!

みんいれんTOKYO(機関紙)の「輝け看護!」コーナーから

最期まで寄り添えたのだろうか

 A氏60代男性。19から25歳まで正社員で働いたが、その後は35歳までアルバイト、それ以降は日雇い生活で住居はカプセルホテル。2015年1月より下痢が続き10kgの体重減少。右上腹部のしこりに気づく。下肢の浮腫がひどくなり、あの病院なら診てくれるはずと友人に勧められ3月当院受診。MSWにつながり生活保護を受給し入院となる。進行性大腸がん、転移性肝臓がんを診断。
 一時的ストマ造設と共に化学療法が開始となる。アパート暮らしを希望したが、一旦はNPOが運営する寮に入所ということで6月退院。9月に再手術で結腸ストマへ変更。入院や外来で化学療法を継続する中、2016年4月咳嗽あり、肺炎疑いで入院した。結果、抗酸菌陽性で結核治療のため専門病院へ転院となる。本人より、寮は6人部屋で一人がずっと咳をしていたと。ADL低下し、ほぼ全介助で当院転院となる。結核治療後倦怠感も強く体力低下著しいが希望もあり抗がん剤治療を再開した。

 A氏との直接の関わりは4月の結核疑いからだ。住居が一年前に退院した時の施設のまま6人部屋ということを知って驚いた。抗がん剤治療し抵抗力のない状況で大部屋暮らし。アパートを希望していたのに、生活保護課の担当者に言わなかったのか不明だが、定期受診も化学療法も、辛い体では行動も起こせなかったのか。生活保護を受給し、家を見つけたら終わりではないことを知った。
 定期的に入院治療しているときは、もっと明るかったよう。病院に来て医師や看護師から話しかけられるのが嬉しかったと言っていた。誕生日も看護師から祝ってもらっている。
 現在、A氏はやりたいことはないという。ただ、治療を受けるのが生きる望みである。できる限り支えていきたい。

 この原稿をまとめているときに静かに天国へ旅立った。私たちは最期まで寄り添うことができたのだろうか。

(小豆沢病院・2016年9月号掲載)