「なぜ医師になるのか?」戸田匠

戸田匠 【昭和大学 2014年卒】立川相互病院 医師

はじめまして、私は立川相互病院研修医一年目の戸田と申します。私はまだ研修を始めて半年ばかりでまだまだ学生気分も抜けきらず、慣れない早起きや書類書き(実は医師の仕事はくらいが書類仕事のようで、驚きました)などに苦労する毎日を送っています。そんな私ではありますが、未熟ながらも医療に接すると、決して忘れられない出会いがあるようです。私の場合は、私が医師として初めて担当した患者さんがその出会いでした。

 

その方は低血糖の後遺症による脳症で軽度の知的障害があり、脳塞の後遺症による失語・寝たきり状態で誤嚥(食べ物をうまく飲み込めず、気管に入ってしまう障害)による肺炎を繰り返しており、来院時既に右肺の大部分が膿で満たされてしまう膿胸という状態であったため、ICU病棟への入院となっていました。私はもともと救急医療やそれに続く集中治療に興味があったことからこの方を担当することを決めました。しかし、医師として初めて立つ医療現場で右も左も分からず、ましてこのような重篤な症例を的確にマネジメントできるはずもなく、指導医の先生に手取り足取り教えていただきながら診察していくことが精一杯でした。それでも膿を取り除く処置や、抗菌薬の投与によって膿胸は少しずつよくなってきました。また、無力ながらもせめて本人と一番近いところにいようと毎日診察の中で会話を続けることで、次第に失語ながら精一杯話してくれる言葉を聞き取れるようになり、コミュニケーションもとれるようになりました。

 

膿胸が徐々に改善したことで意識状態や食欲は改善しましたが、依然として誤嚥は続き、貧血も進行するなど全身状態の改善は難渋していました。さらに、貧血精査目的で施行した大腸内視鏡で大腸癌が発見されました。膿胸、誤嚥、大腸癌、高次脳機能障害などが併存する状態で、今後どうしていくかについて唯一の家族である弟さんだけでなく、施設の方、外科の先生など様々な方と話しながら方針について悩み、結果として大きな侵襲を伴う手術は避け、呼吸状態の安定したところで本人の希望通り施設へ戻り、可能な範囲で食事をとりながら過ごしてもらうという決断をしました。全身状態が良好でなく手術に耐えられない可能性があることや本人の施設へ帰りたいという希望や食べることへの強い意志からの決定でしたが、大腸癌は手術適応範囲内であり、食事すれば間違いなく誤嚥する状態であったため、悩んだ末の決断でした。その後呼吸状態が安定したところで施設へ退院しましたが、約一週間後に施設で亡くなりました。

 

研修を続ける中で、私はあの患者さんいついての決断は本当に正しかったのか、治療方針はあれでよかったのかとよく考えます。この症例のように、実際の医療現場では病気の知識や治療法の勉強だけではとても太刀打ちできないような症例が多くあります。医学的に正解のない状況で診療を進めることができるのは、患者さんとその家族の思いのみならず、共に働く医療従事者の方々や施設職員の方々など、患者さんを取り巻く方々の様々な思いでした。楽なことばかりではありませんが、そんな環境の中で、自分の思いや哲学を育て、成長できることはとても楽しい事だと思います。医師を目指している方、また迷っている皆さんには、そんな環境が実際どのようなものか、是非一度実習に来ていただければと思います。また、皆さんがこの場に立つ日を心から願っています。

お問合せ

お問合せ

まずはお気軽にお問い合わせください

随時、お問い合わせ・資料請求などを受け付けております。ご質問、お悩み、ご相談などがありましたら、フォームよりご連絡ください。

お問い合わせフォームへ