SDH、HPH、そしてまちづくりへ

根岸京田医師(全日本民医連副会長・東京民医連会長)

4月27日に開催された2019年度東京民医連全医師集会では、「病院・地域で健康を科学する HPH~ヘルスプロモーティングホスピタル=健康増進活動拠点病院~」をテーマに、活動報告や意見交換が行われました。当日は学習講演として、HPHの活動に早くからとりくんでいる東京民医連会長の根岸京田医師が講演しました。その内容をお伝えします。

健康の定義

最近はHPH(ヘルスプロモーティングホスピタル=健康増進活動拠点病院)について話す機会が多くなりました。そこで今日はまず、健康の定義は何か、ということからお話したいと思います。

 

第二次大戦後に国連ができ、そのときにWHO(世界保健機関)が作られて、WHO憲章が批准されました。その冒頭に、健康の定義として「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、満たされた状態であること」と書かれています。肉体的、精神的というのは想像がつくと思いますが、社会的に満たされた状態というのはどういうことなのか。WHOや公衆衛生に関わる方たちは、ある意味これを追求してきたのではないかと思います。肉体的、精神的というのはどちらかというと個人の問題ですが、社会的というのは明らかに他人との関係です。

 

この健康の定義は、90年代ごろに改訂しようという話があり、スピリチュアル(spiritual)という言葉と、非常に動的な状態であるという意味のダイナミック・ステイト(dynamic state)という言葉を入れようという動きがありました。ただ、なかなか賛同が広がらず、いまだにこの1948年のWHOによる定義が「健康の定義」ということになっています。

 

次の項目には、「人種、宗教、政治信条や経済的・社会的条件によって差別されることなく、最高水準の健康に恵まれることは、あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつです」とあり、権利としての健康について述べています。これは日本国憲法の第25条に引き継がれて、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書かれています。この「最低限度」という部分だけを強調すると、「生活保護の人が車を持っているのはおかしい」というようなおかしな話になってしまいますが、こと健康に関しては「最高水準」しかない。お金のあるなしによって「あなたは最高、あなたは中ぐらい、あなたはこの程度」などということはないのだということです。その時代、その地域においての最高水準の健康に恵まれるということは、基本的人権なのだということをここで宣言しています。

 

その次には、「一般の市民が確かな見解をもって積極的に協力すること」が述べられています。つまり、健康についてはお上からもらうばかりのものではなく、自らの積極的な参加が必要であるということです。それから、「各国の責任」ということが述べられています。

 

これを1948年の段階でWHOが出したということは、第二次世界大戦の前後にこういうことをいわざるを得ないような状況があったのではないかと思います。

 

国際生活機能分類(ICF)という考え方

もうひとつ、ICFという考え方を紹介しておきます。これはリハビリの皆さんにはポピュラーな考え方で、最近はケアマネジャーの皆さんもこのような考え方をしていると聞きます。健康状態というのは、心身機能だけの問題ではないのだという考え方です。先ほどの健康の定義にも通じますが、社会的にも満たされるという点では、活動あるいは社会参加といったものを含めたところで健康状態は保たれていくのだという考え方です。

 

私が急性期の病院で働いていた頃は、「病気を治すと健康になるのではないか」と考えていました。病院はここばかりを追求しすぎたのではないでしょうか。ICFでは、「心身機能の低下による社会性の喪失」と「社会因子による健康障害=健康の社会的決定要因」を双方向の矢印で結びつけて考えています。つまり、体だけ治せばその人は社会生活を営めるのか、元の職場に戻れるのか、住み慣れた街へ帰れるのか。そういうことが問題なのです。

 

何かの病気になって、病気のせいで活動量が落ちて、社会参加ができなくなって、孤立が深まっていくというのが、普通われわれが考える病気のコースです。しかし実は、逆方向もあるのです。何らかの理由で社会参加ができなくなる。失業してしまう。あるいは貧困状態に陥ってしまう。そうするとだんだん引きこもりになり、活動量が落ちていき、うつ病を発症してしまうというような逆方向の流れです。この逆方向の流れが、社会因子による健康障害、つまり健康の社会的決定要因ということになるのではないかと思います。

 

健康の社会的決定要因とは何か

健康の社会的決定要因をSocial Determinants of Health、略してSDHといいます。若い先生はまだあまり馴染みがない言葉かもしれませんが、この数年間、民医連では重視してきましたので、ポピュラーになってきました。間違いなくこれからの健康問題を考えるキーワードになっていくと思います。この社会的要因がどのように発見されてきたかを見てみましょう。

 

ロンドンの公務員が多く住んでいる地域で健康状態をフォローしたデータがあります。公務員というと、特に裕福ではないけれど貧困でもなく、だいたいみんなが健康保険に加入しているという、比較的均一な集団です。その中の冠動脈死の原因を調査すると、喫煙や血圧、コレステロールなどのリスクファクターを除外しても説明できない要因があったのです。しかもそれが職位によって3倍から最大4倍と、大きな差があることがわかりました。そこから社会経済的な状態、ソシオ・エコノミックステイタス(Socio-economic Status)がこの余剰死亡に関係しているのではないかということが発見されました。1970年代の話です。データでは管理職の健康状態が最もよく、その人たちの冠動脈の死亡率を1とすると、プロフェッショナル、専門職は2倍ぐらい、普通の事務職は3倍、その他のメッセンジャーや清掃職員、運転手といった職種の人々は4倍になります。確かにこういった職位の人は喫煙やコレステロールレベルも高いのですが、それを除外しても説明がつかない。こういうところから、社会経済的な状態が健康に影響を及ぼしているのだろうと考えられました。

 

これが20世紀の公衆衛生学上の最大の発見といわれて、1996年と2003年にWHOのヨーロッパ委員会が「ソリッドファクツ」というものにまとめています。直訳すると「確かな事実」という意味で、「社会的な要因により健康が影響を受けることは確かな事実である」ということです。日本だからこうだ、アメリカだからこうだというのではなく、世界共通の原因があるのだという意味もあります。

 

社会格差は、SDHを介して健康格差を生む

社会格差やストレスは、人間が集団生活を営んでいる以上避けられないものですが、それ以外の部分、たとえば幼少期に十分な支援を得られない、社会的排除、貧困、失業などによっても、人は不健康になります。これが世界共通であるということを、ヨーロッパのWHOのSDH(健康の社会的決定要因)委員会が出しています。この中では、職業階層別平均余命は、専門職、管理職、熟練職、肉体労働に従事する人などの間で差があるということが紹介されています。たとえば自分で自分の仕事量をコントロールできるか、5時以降になっても平気で電話1本で呼び出されるとか、いつ仕事が失われるかわからないというような状況にあるのかどうかによって、自分でコントロールできる人を1とすると、あまり自分で仕事の内容をコントロールできない人は2~3倍ぐらいと差があります。正規雇用なのか、非正規雇用なのか、無職なのか。そういうことで、慢性疾患や精神疾患の有病率が変わってきます。また、精神疾患は無職の人よりもむしろ非正規雇用の人のほうが有病率が高いということがわかりました。

 

その後も研究がすすめられ、2008年にSDH委員会の最終報告が出されました。ここでは、「健康の不公平を軽減することは倫理的な緊急事項である」と述べています。つまり、健康の社会的決定要因が人間社会によって作り出されたものである以上、人間社会がそれを改善することができるのではないか、それを放置しているのは倫理的な問題ではないかというのです。「今や社会的な不正義が大規模に人々を殺しているのだ」という非常に強い言葉で、各国の政府に対して無策を指摘し、もっと対策を取りなさいと強く主張しています。安全な住居、安全な場所、清潔な水などは基礎的なニーズであり、特に都市の貧困層に問題があるのではないかとして、都市のスラムの改善に投資をしていこうと述べています。

 

ソリッドファクツの第2版やSDH委員会の最終報告に中心的に関わったのがマイケル・マーモット先生です。この先生が2010年に「マーモット・レビュー(Marmot Review」」と呼ばれるレポートを出しています。題名は”Fair Society Healthy Lives”、つまり「公正な社会と健康的な人生」です。その中では、「社会の不平等からくる健康の不平等は避けられないものではない。十分に軽減しうるものである」としています。では社会の不平等とは何かというと、所得、教育、雇用、地区の環境などの不平等です。これは人間の営みによって変えられるものであり、主に政治の役割でしょうということを言っています。これが「健康格差」という赤い本に結実しているわけです。

 

人間が社会を営んでいる以上、一人きりでは生きていません。そして集団を作ると格差というのはどうしても避けられません。そうした社会格差はある程度避けられないとしても、それが実際の健康格差を生じることは軽減することはできるのではないか、そのように政治をするのが正しいのではないかということです。社会格差はSDHを通じて健康格差をもたらします。失業、薬物、社会の結びつきの不足、劣悪な労働態様、貧困などが、社会格差を実際の健康格差に広げる要因になるのです。

 

カナダの医師たちから学んだこと

この間、民医連では、カナダ・トロントのセントミカエル病院の家庭医の先生方をJHPHのカンファレンスにお呼びして講演をしていただき、いろいろ学んで刺激を受けました。最初に来ていただいたギャリー・ブロック先生の「不健康の原因が貧困であるならばまず貧困を治療すべきでしょう」という言葉にはギョッとしました。「貧困を治療するとはどういうことなのか」と。私たちが患者さんのカンファレンスをやる中で、「この人の健康状態が悪いのは貧困のせいだ」あるいは「職業を失ったせいだ」とアセスメントするのであれば、それに対して、治療とはいわないまでも何かしら改善するための運動をしないのはおかしいのではないかというのです。ある意味至極真っ当なことですが、少し驚きました。我々の日常的なカンファレンスの中では、「この人の健康状態が悪いのは貧困のせいです」といって、そこで終わっていたわけです。そこから先は我々の仕事ではないと思っていたのですが、「貧困は治療すべきだ」と彼はいうわけです。いろいろな制度を活用したり、人とのつながりを紹介したり、方法はいろいろあります。まだ試行段階ですが、その教訓は民医連が作成した「経済的困窮評価支援ツール」に生かされています。

 

昨年はこの先生の後輩にあたるアンドリュー・ピント先生が来日し、とにかく行政を動かさなければ話にならないということで「行政との共通言語はエビデンスだ」と言っていました。つまり、臨床研究をするにしても、研究をすすめながら同時にそのデータをもとに働きかけないと行政は動いてくれないというのです。たとえば、無料低額診療は大事な活動ですが、そのためにどのようなデータを集め、どのような効果があるからこういう政策をやってくれというのを、やる前から一緒に考える。そうした臨床研究のやり方、あり方というのを随分教えていただきました。

 

彼らはほかにも、テレビの中継に飛び入り参加して発言するような面白い活動もしています。ギャリー・ブロック先生は、セントミカエル病院の准教授ですが、 “ROVERTY KEEPS US SICK”(貧困が私たちを病気にします)という反貧困運動に普通に参加しています。彼らにとっては日常診療をすることと、貧困を改善するための運動に参加することは同列であり、同じ延長線上にあるのです。

 

カナダの医師のコンピテンシー、必要な能力というものについて書いた本があります。その中に医療の専門家に必要な資質・能力(コンピテンシー)を示した図が出てきます。これは医師に限らず、医療の専門家に必要な資質・能力を示したもので、その中に「ヘルスアドボケイト」というものが出てきます。アドボケイトというのはなかなか日本語にしにくいのですが、代弁者というべきでしょうか。健康に対してなかなか声を上げられない人たち、あるいはそうした情報にアクセスできない人たちのために一緒に声を上げることが、こうした活動を含めて重要であると強調しています。この図はカナダでも非常に有名になり、100カ国以上で引用もされています。コンピテンシー

 

プライマリー・ヘルスケアとヘルスプロモーション

ここでWHOの健康戦略についてお話します。ひとつはプライマリー・ヘルスケア、もうひとつはヘルスプロモーションです。これらは車の両輪のようにいわれています。

 

1978年に最初にプライマリー・ヘルスケアというものが提唱されました。1978年というのは非常に特殊な年です。1975年にベトナム戦争が終わり、ソビエトがアフガニスタンに侵攻してモスクワ・オリンピックがボイコットされるきっかけになったのが1979年です。その間のほんの数年間だけの緊張緩和の時代に、当時のソ連のカザフスタン首都のアルマ・アタというところで国際会議が開かれ、このプライマリー・ヘルスケアというものが提唱されました。その背景には、発展途上国の医療支援が課題になっていたことがあります。当時何が起きていたかというと、途上国に大きな病院を建てたり、CTを持っていったりするのですが、あまり役に立っていない。そこで地域の人たちに本当に必要な医療を届けるには、住民のニーズに基づく方策を取らなければいけないと考えられるようになったのです。同時にその土地にある地域資源を有効に活用しようと。大きな病院がなくても、保健師さんたちの保健活動などがあればきちんと利用する。あるいは住民参加で、医療以外のいろいろなものと連携していきましょうというように、地域性重視と住民の自立・自助を提唱しています。必要なところに必要な医療を届けるという意味では、医療を民衆化しているといえるかもしれません。

 

ここで住民参加という部分を強調したのがヘルスプロモーションです。プライマリー・ヘルスケアはどちらかというと医療提供側の視点なのに対し、ヘルスプロモーションは定義から見ても主語は人々です。ここでは健康の前提条件として、平和や住居などが挙げられていて、それがやがて健康の社会的決定要因に発展していきました。ですからこれは、社会を健康にしていこうという動きになっています。どちらかというとプライマリー・ヘルスケアのほうは民医連っぽい感じで、ヘルスプロモーションのほうは医療福祉生協っぽい感じがしますが、両方必要だということです。

 

ヘルスプロモーションの概念

ヘルスプロモーションの概念を表した有名な図があります。日本HPHネットワークのCEOである順天堂大学の島内先生が考案したもので、健康という大きな球を転がしながら坂道を上っている人が描かれています。健康がこの図のようなものであるとすると、健康は人生の目的ではなく、人生の目的や真の自由と幸福のために必要なのが健康ということになります。ヘルスプロモーションの概念ヘルスプロモーション図引用元:日本ヘルスプロモーション学会

 

そこでまず、この人が坂道を上れるように励まさなくてはいけないという考え方があります。この人の背中を押してあげるには、ライフスタイルに関わることで、禁煙をしましょう、食べ過ぎに注意しましょう、運動をしましょうというようなことが考えられます。どちらかというと自分で頑張ってくださいという、自己責任の話に陥りがちな方法です。こうしたやり方は医学的アプローチ、アメリカ型といわれます。

 

もうひとつは、坂の勾配を緩やかにしてあげようという方法です。これは健康になりやすい環境づくりをしていこうということです。これが健康の社会的決定要因であって、ヨーロッパ型ともWHO型とも言われ、環境を整えるという意味でセッティング・アプローチともいわれています。

 

これらを両方やるのがヘルスプロモーション活動であるということを、この図は見事に示しています。それには大きく5つの重点活動目標があり、一番は「健康的な公共政策づくり」です。やはり健康的な社会を作っていこうというのが一番の目標です。周りを変えていくということです。これを作ったとき、WHOのヨーロッパの主要研究者のひとりであるイローナ・キックブッシュ氏が「ヘルスプロモーションの最大の敵は貧困であり、究極の目的は平和である」とおっしゃっています。この図が作られた1986年頃、イローナさんは30代半ばぐらいの研究者で、ちょうど同年代の島内先生がヨーロッパに留学中で一緒に仕事をしていたそうです。

 

健康はまちづくりの課題

HPHの国際カンファレンスでニューヨークの研究者が発表したニューヨークの喫煙率に関する保健所のデータがあります。医療側から「このまま喫煙を続けていると肺がんになりますよ」とか「肺気腫になって在宅酸素しなければいけなくなりますよ」などと様々な働きかけを行いましたが、喫煙率は、20%から下にはずっと下がりませんでした。そこでニューヨーク市が何をやったかというと、まずタバコの税金を上げました。それから仕事場の禁煙をすすめるためのキャンペーンを行いました。さらにフリーパッチプログラムということで、禁煙をしたい人にニコチンパッチの最初の1枚を無料で配りました。その後もマスコミを通じたキャンペーンを行い、数回にわたり税金を上げ、公共の場やレストランでタバコを吸えないようにするなどしたところ、喫煙率が下がったというデータです。

 

このように医療機関だけが頑張っていてもなかなか結果が出ないことがわかります。行政、住民、商店街、経済界など、いろいろなセクターとの協力が必要であり、もとからあるものを見直しながら、地域の健康を守る新しい枠組みを作ることが必要なのです。つまり、医療分野だけの努力では地域の健康は守れないので、多分野の共同が必要であり、まさにそれはまちづくりの課題であるということです。それには健康的な会社だったり、学校だったり、行政だったり、病院だったりが必要になってきます。

 

同じような枠組みがあちこちに必要で、例えば認知症についてもみなさん感じていると思いますが、もう医療機関だけでどうにかなる話ではなくなってきています。認知症の方が住み慣れた地域で住み続けるためには、まちの人たちの協力が必要であり、会社や学校、交通機関や商店街などの理解がなければすすまないわけです。糖尿病に関しても、民医連の調査が示しているように、明らかに社会のありようが糖尿病の発症や悪化に関係しています。がんにもあると思います。がんについて今一番問題なのは、高額な治療費と就労です。がんはよく治るようになったものの、2割ぐらいの人は仕事を失ってしまいます。ですからその支援をどうするか。やはり医療機関だけではなく、社会全体として取り組まなければいけないものであり、そこに医療機関がどう積極的に関わっていくかという問題があります。

 

先ほどのヘルスプロモーションの図では、重点活動分野の一番最後に「ヘルスサービスの方向転換」というものがあります。もともとは「ヘルスサービスのリ・オリエンテーション(Re-orientation)」という言葉が使われています。今まで治療や診療に特化してきた医療機関について、もう少しまち全体を健康にするとか、普通に地域で暮らしている人たちに目を向けよう、広げてみようということを、ひとつの大きな重点課題としています。ここからHPHが発展していくということになります。

 

HPHとは?

HPHは、Health Promoting Hospitals & Health Servicesの略です。ヘルスプロモーションを組織理念として活動する病院ということで、世界中に広がりつつあります。施設数では1000ぐらいになりました。

 

実際にどういうことをしているかというと、HPHの対象は主に3つあるといわれています。ひとつはまず患者さんです。患者さんに良質な医療を届けるということと、特に社会的に困難な人たちにきちんと医療を届けること。入院中から退院後までを考えながら、健康問題に対するアプローチをしていきます。もうひとつは地域住民です。普段あまり病院にかかっていない人たちも含めて、社会全体を健康にするには地域の人たちをどう巻き込んでいけばいいのかということです。そしてもうひとつ重要なのがスタッフです。医療機関で働いているスタッフこそヘルスプロモーションが必要であるということです。

 

HPHでは、アルコール、精神領域、子ども、移民にやさしい病院など、特に関心の強い分野についてはタスクフォースという特別な研究班を設け、ガイドラインを出しています。たとえば移民の方々に対してどのようなアプローチをするかについてもガイドラインが出されていますが、我々が最初にHPHに参加した頃に話題になっていたのが、ロマと呼ばれている旅芸人の人たちです。教育についても健康問題についてもほとんど放置されてきたような状態ですが、そこにアプローチしようとすると彼らは地続きの他の国に行ってしまう。そうして転々としているうちにずっと放置されてしまうという問題があります。韓国の皆さんが発表していたのは、脱北者の人たちの子宮頸がんが非常に多いということで、その人たちの健康問題をどうするかということでした。こうした地続きの隣国の問題は我々には想像しにくい問題ですが、昨年、一昨年あたりにはシリア難民が話題になっていました。

 

高齢者にやさしい病院というのはこれから非常に大きな課題になると思います。これについては台湾で非常に取り組みが進んでいます。

 

あとはヘルスプロモーションの定義上、市民との共同というのが重要です。そこで日本への興味と期待は非常に高いと思います。なぜならヨーロッパの病院はほとんどが国や教会や貴族の慈善事業として始まったもので、大学病院やセント〇〇病院と名のついている大きな病院が多く、住民運動で建てた病院はないのです。日本からは民医連の皆さんがたくさん参加しているので、住民の皆さんが貧しい中で少しずつお金を集めてクリニックを作って病院を建てるということを経験した人も少なくありません。2008年に初めて国際HPHカンファレンスに千鳥橋病院が参加して、ポスターセッションに参加し、「心筋梗塞後のリハビリのために、公園に友の会の皆さんが100人ぐらい集まって体操をしています」という発表を行いました。我々からすると当たり前のような話ですが、ヨーロッパの人たちは「国の機関でもない一民間病院なのに、なぜこんなことができるのか」と驚き、多くの質問が寄せられました。住民の積極的参加を実現しているという意味で、日本の民医連に対する興味は非常に高いと思っています。

 

日本のHPHは現在、全国103事業所まで増えました。ここには病院だけでなく、クリニックや薬局、法人グループ、研究機関なども含まれています。地域医療振興協会のヘルスプロモーション研究所や、去年から今年にかけて加盟した京都大学公衆衛生学教室、15ほどの教室がまとめて加盟して、研究者の皆さんがどんどん増えています。HPHという枠組みを使って、日本の健康をどう改善していくかということを研究しています。そういう意味では、学問的にも深まってきていると思います。

 

民医連と国連の健康戦略の親和性と先進性

国連はSustainable development goals(SDGs)、「持続可能な開発目標」を出しています。そこには、むやみやたらに開発をすすめるのではなく、持続可能な開発をしていかないと、もうこの地球は持たないのではないかという危機意識があります。そこでは、「誰も置き去りにしない(no one will be left behind)」を基本理念にした新たな指針として、17分野の目標が掲げられました。特に民医連に関係がありそうなものとして、「すべての人に健康と福祉を」や、「貧困をなくそう」「人や国の不平等をなくそう」「住み続けられるまちづくりを」などがあります。国連がこれを提唱したのは、極度な貧困を含む貧困を撲滅することが最大の課題であるという国連の問題意識があるからです。やはり健康と福祉には貧困が密接に関係していますし、住み続けられるまちづくりにも関係しています。「私たちは医療機関なのでこれだけやります」というのは通用しません。これらの目標は互いに深く関連しており、全部やるべきものです。

 

民医連は健康と福祉の連合体ですが、平和の問題やまちづくりにも取り組んできましたし、不平等や貧困をなくそうという活動もやってきました。その点で、民医連と国連、WHOの健康戦略は非常に親和性が高いと思います。民医連のやってきたことと国連の目指すものが、だんだん同じようなものに集約しつつあります。縦割りに分断されてきた医療ではこれからの複雑な問題に対応できないので、総合性が非常に大事であるということが見えてきました。市民の参加については、あらゆる活動を共同組織でやろうということや、共同の営みとして捉えるということも共通しています。

 

ソーシャル・キャピタルと健康

もうひとつ、ソーシャル・キャピタルというものがあります。今、人々の社会的な孤立が、社会的にも健康上でも大きな問題になってきました。皆さんが時々一人になりたいというのは楽しむべき孤立(Solitude)であり、社会的孤立(Loneliness)とは違います。ソーシャル・キャピタルは簡単にいうと人々の結びつきの強さのようなものですが、この研究の第一人者は、ハーバード大学のイチロー・カワチ先生です。この先生は大阪生まれで10代まで日本で過ごし、その後ニュージーランドで医学を学び、アメリカでハーバード大学の公衆衛生学教授になった方で、よく日本にも来られて研究をしています。「なぜ日本人は長寿なのか?」といいますが、日本人の食生活は必ずしもすべて健康にいいわけではありません。お酒については寛容な社会ですし、日本食は健康食と言われますが、醤油をかけると塩分が多くなってしまいます。都市部では非常にストレスも高い。それでも日本人が長寿なのは、環境によるものだろうというのです。

 

とりわけ社会のありようとしてのソーシャル・キャピタル、つまり集団の連帯感が日本人の長寿の理由ではないかというような研究をされています。たとえば、「情けは人の為ならず」、「持ちつ持たれつ」、「お互い様」といった言葉が、日本では普通に日常会話の中に出てきます。外来で来たおばあちゃんに「具合はどうですか?」と聞くと必ず「おかげさまで」と言います。自分が今元気でいるということは、誰かの世話になっているという思いが強くあります。それはギブ・アンド・テイクということではなく、もともとお互いの信頼感のようなものが日本人の中にはあるのではないでしょうか。隣近所の人と挨拶していますか?最近は都会の生活の中では、全く関わらないということも増えてきていますが…。それから、家に鍵をかけていますか?今はかけていますが、子どもの頃は鍵なんてかけていなかった。そんな信頼関係が昔はあったわけです。

 

社会参加と介護予防効果の関係について

社会の結びつきということについては、千葉大の近藤克則先生が行っている「老年学的評価研究」(JAGES)というものがあります。これは自治体ごとに、登録すると、非常に細かいアンケートをずっとフォローするという形で行われています。だんだん参加する自治体が増えて、現在では40万人ぐらいフォローしています。小学校区ごとにいろいろなデータがあり、たとえばスポーツ関連のグループに参加する割合の多い地域では転倒率が低い。趣味関係のグループに参加する割合の多い地域では、うつのスコアが低い。あるいはボランティアグループへの参加率が高い地域では、認知症のリスクが低いというデータが出ています。つまり、小学校区ごとに転びやすい地域や認知症になりやすい地域がわかったりするわけです。これは非常にたくさんのデータを使って多くの研究成果が出ています。

 

ここで社会的孤立の問題です。これは人口問題研究所が出したデータですが、「他者との会話の頻度はどれぐらいですか?」という質問に対して、80歳以上の男性で2週間に1回以下しか人と話さない人が6%。女性はもう少し低くなります。しかし、20代の若者でも2%いたことが驚きでした。つまり2週間に1回以下しか人と話さないということは、我々が2週間に1回訪問診療に行ったのが唯一、人と話す機会だという人がいるということです。これが非常に人々を不健康にしているのです。

 

さまざまな対策

最近では、「過労死」に続いて「孤独死」という言葉が英語になってしまいました。日本では、孤独は自己責任だと考える人が44%と非常に多いです。去年話題になりましたが、イギリスは昨年1月に「孤独担当大臣」という国務大臣を設置しました。これは、ジョー・コックスさんという下院議員が健康に対する孤独の影響を調べていたのを、委員会が引き継いだものです。彼女自身は、EU残留を訴える活動の中で、反対派の暴漢に銃撃されて亡くなりました。英国の国民は6000万人ぐらいですが、900万人以上が孤独を感じており、その3分の2が生きづらいと訴えています。月に一度も家族や友人と話をしないという高齢者が3分の1ぐらい。子どもを持つ親たちの4分の1ぐらいが孤独を感じています。その健康への影響を考えてみると、孤独は肥満や1日に15本以上タバコを吸うよりも有害であると考えられます。このデータをもとに経済的影響は年間4.9兆円にもなるという結論を出しました。

 

孤独に対する対策として、イギリスではEndLonelinessというキャンペーンを行っています。これはボランティアを派遣していろいろな行政手続きを手伝ったり話し相手になったりしてあげるというもので、電話窓口を作ったりもしています。結果については、まだはっきりとした報告はありません。

 

フランスではMONALISAという運動があります。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵ではなく、「高齢者の社会的孤立と闘う国民連帯(MObilisation NAtionale contre L’ISolement des Ages)」というものです。700ぐらいの市民連合がこの運動に加わっていますが、MONALISA憲章というものを作り、政府に対して高齢者対策の必要性を訴えています。また、あるパリの有名な新聞社は、パリ市内で孤独死した数百人の名前を新聞に載せました。孤独死した人はどこの誰だか名前もわからないし、ほとんどの市民は無関心です。でも実は一人ひとりにちゃんと名前があり、家族も友人もいたはずです。その人たちが「こういう人だったんだよ」とアピールするために、全員の名前の名前を紙面に載せたわけです。

 

「頑固なおやじさんが外に出てこない」というのは、皆さんもよく経験すると思います。認知症もそれほど進んでおらず、足腰もあまり弱っていないのに、いろいろなものに参加するのは面倒くさい、やってられないという人たちを、どうやって家から出てきてもらうかというのは、イギリスでも非常に大きな問題になっています。そこでやっているのが「男たちの部屋(Men’s Shed)」という取り組みです。そこへ行くといろいろな工具が揃っていて、椅子を作ったりテーブルを作ったりできます。ここで作った椅子を学校に寄付したり、公園のベンチを修理したりということで、皆さん非常に生き生きとして工作をしています。あるいは歩いてやるサッカー、Walking footballというものもあります。こうした取り組みにハマる男性は結構いるのではないでしょうか。

 

私たち民医連の取り組みを少し紹介します。去年12月に東京保健生協と医療法人財団健康文化会、東京ほくと医療生協の3法人が合同で健康についてのフェスティバルを行い、地元のテレビ局に取り上げられました。健康というのは医療機関が作るものではなく、地域の皆さんと一緒に作っていくものだと思います。ですから医療の専門家が地域の皆さんと一緒にイベントをやることで、みんなで地域を健康にしていこうというのがこのフェスティバルの目的です。皆さんのところでも健康まつりや病院祭が行われていると思いますが、だんだんただのお祭りになってきたので、健康まつりと学術集会の中間ぐらいのイベントとして行いました。

 

社会的処方とは?

社会的処方というのは、人の健康問題のために薬を処方するのではなく、人と人とのつながりを紹介するような活動です。地域の活動や利用可能なリソースを紹介するということで、健康状態や孤立感が改善されたという効果が実際に報告されています。特に入院や救急受診の減少という効果が確認されています。地域のことを知らないと処方できないので、HPH活動でもあり、アウトリーチでもあり、まちづくりの課題でもあります。

 

ただ、この言葉には批判もあります。アンドリュー・ピント先生はじめカナダの先生方は、問題の根本を隠してしまう危険があるのではないかということで、あまりこの言葉が好きではないようです。子ども食堂も無料塾も大事な取り組みではありますが、問題の本質はそこではないわけです。本当はお父さん、お母さんが子どもと一緒に夕食を食べられる時間に帰宅できて、子どもを育てる収入が得られるということが大切なのです。あるいは学校で落ちこぼれることなくきちんと教育が受けられるということが大事なわけですから、問題の本質を見失わないようにしなければならない。「人間社会が作り出した社会的な問題を病気に例えるのは如何なものか」という意見もあります。貧困自体は避けられないものではないという意見もありました。このように批判もあるということを知っておいてください。

 

具体的にどういうことが行われているかというと、たとえばイギリスでは、住民が医療機関を受診した時に、この患者さんに必要なのは社会的な支援だということになると、電子カルテのボタンをポチッと押します。するとリンク・ワーカー(Link worker)に情報が集まり、いろいろなプランが立てられます。借金が問題であれば債務相談を紹介したり、孤立が問題であればボランティアその他の地域活動を紹介したり、失業が問題であれば就労についてのプログラムを紹介したりといったことをしています。最近は医療機関だけでなく、消防や不動産関係の窓口から紹介されるなど、発展的な社会的処方も出てきました。

 

内容としては、ほとんど共同組織で行われているものそのままですが、日本ではまだまだ報告が少なく、実際にどのようなエビデンスがあるのかということが十分に立証されていない状況です。

 

医療機関がHPHに参加する意義

最後に、医療機関がHPHに参加する意義についてですが、実際に皆さんが急性期の病院で勤務する中で、治療側の問題意識はいかがでしょうか。毎日頑張って手術をしても、あるいはカテーテル治療をしても、患者さんが減らないではないか。地域全体の健康増進に役立っているのだろうかなどと感じることはありませんか。これらはいわゆる上流の問題で、病気がどんどん発生する根本の原因は何なのかという問題や、医療が介入することで取り戻した健康が施設の外でも維持されているのだろうかという問題などです。

 

私が研修医の頃、アルコールの問題で吐血して入院する人がいましたが、入院して治療して帰宅してもまた酒を飲んで吐血して入院してくるのです。「酒が飲める体にして帰すだけだね」なんて言っていましたが、本当は彼が家に帰ってなぜまた酒を飲まなければいけなかったのかを考えてあげなければいけなかったのですね。短期間で再入院する人もいます。医療現場の疲弊の原因にもなっているこうした問題は、急性期の病院では多いのではないでしょうか。

 

在宅医療においては、在宅は生活ですから介護が主役で、介護を支える医療ということになります。そこでは治療するというより、支える、看取るといったことが目標になってきます。ですから地域に目を向けるということが必要になってきます。

 

医療の細分化、分断化の弊害については、民医連ではあまりないかもしれませんが、いまだに大きな病院では、「どこにかかればいいのか」という押し付け合いのようなことが行われています。患者さんの背景は明らかに複雑化していると思います。SDHが発見される中で、この人はただ単純に糖尿病で自己責任だということにはなりません。医療機関の職員自身のヘルスプロモーションも必要です。

 

疾病構造の変化

疾病構造の変化については、ヘルスプロモーションが求められる直接の理由ではないといわれていますが、かつては感染症の患者は病院に入院させて治癒させることが医療の目的でした。そういうものが一定コントロールされるようになると、がんの手術を含む急性疾患の治療をします。これもやはり病院に入院させて治療、治癒します。しかしいろいろな慢性疾患が問題になってくると、高血圧も糖尿病もコントロールはできるけれど治癒はできないわけです。コントロールして合併症を防ぐというのが治療の目的になってくると、主な実践の場は外来に移ってきます。さらに今の高齢者の医療は認知症にしてもフレイルにしても、医療・介護の領域だけではもう対応できません。それをどう共存していくかということになると、在宅医療、まちというのが実践の場になってきます。

 

一橋大学の猪飼周平先生によると、「病院の世紀の終わりである」ということになりますが、医療のフィールドが広がったわけです。昔、私たちが研修医の頃は、病棟を守って、外来で診察して、少しは在宅がありました。その背景として、生活と労働の場を民医連医療では大切にしてきたということがあります。あるいは地域の環境、社会的孤立、まちづくりといったものを考えなければいけません。さらにその背景には、社会保障制度や国際保健、SDGsといったものが関係してきます。フィールドが広がっているというか、考えなければいけないことが広がっている、そういう時代になってきたと思います。

 

今、日本では、国の健康政策として「健康日本21」が行われています。2012年に第二次の政策が出されました。そこで、健康寿命の延伸と健康格差の縮小が目標としてあげられました。千葉大学の近藤克則先生も、この段階で厚労省がこれをいうとは思わなかったというくらい画期的な内容になっていますが、それをどうやって達成するかというと、生活の質の向上、ライフスタイルと、社会環境の質の向上、セッティングアプローチ、つまりヘルスプロモーションそのものです。そのためには、生活習慣病の重症化予防や生活習慣の改善など、個人で頑張らなければならないものもありますが、社会環境の改善もしなければならないということを国も意識しているということです。

 

まとめ

ここで今日の話をまとめますと、まず、社会格差やストレスは人間にとって避けられないものですが、それがSDHを介して健康格差を生じるという問題があります。

 

それから、健康には「心身機能」と「活動」と「参加」があり、心身機能だけを改善しても成功とはいえません。

 

社会的孤立は、これからますます社会全体の重大な健康問題になっていきます。今月、人口問題研究所が、2035年に高齢者の40%は独居になるというデータを出しました。今、高齢者の独居率は18%です。その中でも東京はあと15年で44%になります。つまり、65歳以上の高齢者の一番多い世帯形態が独居になるわけです。東京はまだしばらくは人口集中が続くので、高齢化率は一番少ないのに高齢者の独居率は高いというおかしな地域になります。

 

健康的な社会を作るためには住民参加が必須であり、ヘルスプロモーションの定義の主語が「人々が」であることを意識することが必要です。
医療・介護は社会との関係なくしては成り立たず、その活動範囲は拡大しています。健康的なまちづくりに貢献しようとするとき、HPHは有効なツールになります。

 

医師の使命とは
~100人目に向き合う~

和田浄史医師 講演

川崎協同病院外科勤務

 

新入生歓迎企画の第2弾は、川崎協同病院で地域に密着した医療を実践しておられる和田 浄史先生に講演していただきました。
外科医として患者さんに向き合うだけでなく、野宿生活者の支援や被災地の医療支援をしたり、東大医学部で講義をしたりと、幅広く活動しておられる和田先生のお話は、医療漫画のランキングの話題から、格差・平和と医師の使命とのかかわりまで、超スケールで広がり、さまざまな課題や思いを参加者の心に残してくれました。

地域医療にあこがれて医師をめざす

僕はもともと、若月俊一先生が書いた『村で病気とたたかう』という本を読んで、地域医療にあこがれて医学部を受験しました。けれども浪人して親から「もう学費がないよ」といわれ、横浜市大に入ってからは入学金も授業料も全部、自分でアルバイトして稼ぎました。

 

当時は医学部を出たら専攻する科を決めていきなり入局する、そういう時代でした。横浜市大は臨床研修の義務化以前から、2年間スーパーローテートしてから、どこに入局するか決めればいいという制度だったので、僕もいろいろ見て自分に合う科を探せばいいと思い、あまり考えずに自分の出た大学の病院で2年間、研修をしました。そしてその間は自由にローテートしていいといわれたので、最初の6ヵ月は麻酔だけかけていました。そのあとは第2外科、集中治療室、救急、第1外科と回りました。

 

何科に入るか決めないといけない頃になると、いろいろな科の上の先生が「もちろんウチにくるよな」といってきます。これがけっこう部活の勧誘より厳しい(笑)。僕もすごく悩みました。当時、集中治療室に尊敬する先生がいて、その先生の下ならやりたいと思いました。

 

集中治療室とか救命救急は、毎日、やることが次々とくる。誰かを救命したら次の人を救命するという感じで、やりがいの瞬間風速はすごいわけです。でもその人が蘇生した後、意識が戻ったか、歩けるようになったか、退院して学校に行ったか、結婚したかなどは一切わからない。そういうことを追っかけている暇はないんです。

 

次々に心肺停止の人が運ばれてくる。その場は一生懸命仕事をして人を助けているけれど、息の長い医療はできないと思いました。逆に外科は、患者さんを外来でずっと自分でみることができます。いろいろ悩んだ末、継続した医療を選択して外科医になろうと思い、第2外科に入局しました。

病院によって求められるものが違う

大学病院の医局は、医局の都合で「君はこっちに行きなさい」「君はあっちに行きなさい」という感じで、1年か2年ごとにローテートさせられます。僕もいろいろな病院に行きました。最後は大学病院で生体肝移植のチームにいました。その後、大学病院をやめて、今は川崎協同病院で仕事をしています。

 

大学病院は大きな手術がいくらでもできます。がんが再発したら、抗がん剤や放射線治療もできる。けれども助からない人を入院で看取れるかといったら、緩和ケア病棟のある大学病院以外はほぼ看取ることができません。助からない患者さんは関連病院を紹介して、そこで亡くなる。人間の死亡率は100%ですから、必ずどこかで死ぬわけです。でも看取りは大学病院の仕事ではない。もちろん家の往診に行くことなどあり得ません。

 

大学病院ほど大きくない病院、たとえば横浜市立市民病院などは、手術もする、再発の治療もする、自分が手術した患者さんが助からない場合も入院で最後まで看取ることもできます。けれどもその人が最期を家で過ごしたいといったら、開業医の先生を紹介してお別れしないといけません。

 

もっと規模の小さい病院は、特別大きな手術や骨髄移植が必要な化学療法などはしませんが、普通の手術はするし再発の治療もする。助からない人の緩和ケアもするし、家で過ごしたいといったら家まで往診して、最後まで主治医を替わることなくその人の人生をみることができます。

 

このように病院の規模とか役割によって、求められるものが全然違う。継続した医療ができる病院とできない病院があるんです。これは役割分担であって優劣ではありません。

 

大学病院の医療を必要とする人もいれば、地域の医療を必要とする人もいる。僕は継続性を求めて外科医になりましたが、何科の医師になるかということと、どんな患者さんにどんな医療を提供したいのかということは全然別の問題だということに、医者になってから気がついたのです。そこで転職しました。

今勤めている川崎協同病院は267床の小さな病院です。赤ちゃんが生まれて小児科で健診しながらすくすくと大きくなって、インフルエンザにかかったりすれば外来で治療を受けながら健康に成人します。そのあと検診で胃がんでも見つかれば僕らが手術し、療養が必要になれば老人保健施設に行くこともできるし、在宅で訪問診療や訪問介護をしながら、亡くなるまで片時も離れることなく主治医でいることができます。

 

この病院はさらに健康な人ともつながっています。民医連の診療所や病院は、地域の共同組織の人が自分のヘルスプロモーションのために出入りしたり、いろいろなつながりがあります。健康なときでも住民とのつながりが切れないというのは、僕にとっては究極の継続性でした。患者さんのお宅へ行っていろいろな病気の話をしたり、クイズをしながら患者さんの病気に関する質問に答えたり。これから病気になるかもしれない人、病気になっているのに気づかないで生活している人にもアプローチしているのです。

 

患者さんが調子が悪くて通院できなくなったら、こちらから往診することもできます。小さい地域の病院だから患者さんは病院の近くに住んでいます。だから患者さんが家にいたいといったらこちらから行って、診療所や訪問看護師の手を借りて家で点滴などをしながら過ごすことができる。そういうシステムがあるわけです。

 

地域に1000人いたら1000人全員いつかは死にます。僕はその人たちの最期を真心こめて看取るのも医療者の仕事だと思っています。地域で亡くなるのならうちの病院で亡くなってほしい、地域で頑張って生活して最期まで地域でいてほしいと思っています。

 

胃がんの手術をして5年たったら「再発はほとんどないので治ったと思ってくださいね」と消化器外科の医者はいいます。僕も大学病院にいたときは外来でこのセリフを何10回といっていましたが、その患者さんは僕の前々任の医師が手術した人だったりするわけです。でも川崎協同病院にきて5年たって、自分で手術した患者さんに「5年たちましたね、おめでとうございます」といったときはジーンとした。

 

患者さんと一緒に年をとって一緒にひげが白くなって初めてわかることがあると、地域の医療をしてたくさん知りました。

 

地域の人1000人を1ヵ月間追跡すると、何か体調が悪くなった人が9割くらいいますが、病院を受診した人は300人くらい、大学病院を受診した人は6人、大学病院に入院した人は0.3人、つまり3000に1人くらいです。けれども皆さんがこれから実習などで行く大学病院の病棟は満員です。いろいろな地域からきた0.3人で埋まっています。でも僕らは違う。

 

病院にきた人はみんな診ますが、病院にこない人のところにも出かけていきます。調子の悪い人のところにも行くし、健康な人のところにも「こういう症状が出てきたら危ないですよ」という話をしに行ったりして、1000人全員をみている。これから病気になるかもしれない人、病気になってまだ気がついていない人も、僕らが健康を守っている人たちなんです。

 

そういう意味では大きな病院のスタンスとは全く違う医療を僕たちはしています。どちらも必要な医療です。僕らのほうがいい医療をしているというつもりはありませんが、僕たちも求められる医療をしているのです。もちろん大学病院のドクターも大切です。けれども医者になった人全員が大学病院で働く必要はないのです。

 

皆、大学病院で診療できる医師を続けたいと思って、専門医などの資格を早く取ろうとしますが、そういう医師ばかりだったら地域を守る医師がいなくなってしまいます。だからきちんと棲み分けしないといけないのです。地域は地域で、きちんと誇りを持って仕事をする医師が必要です。

医者はブラックジャックがお好き?

「医師が選ぶ、最も好きな医療漫画ランキング」というのを見たことがありますか?第10位「麻酔科医ハナ」、第9位「メスよ輝け!」、第8位「ゴッドハンド輝」、第7位「Dr.コトー診療所」、第6位「研修医なな子」、第5位「スーパードクターK」、第4位「医龍」。ではトップスリーは何でしょう?第3位が「ブラックジャックによろしく」、第2位は「JIN -仁-」、そして第1位はまさかの「ブラックジャック」です。

 

このランキングは3000人以上の医者に聞いて、なんとブラックジャックと答えた人が54%います。ブラックジャックがほかの漫画を全部足し合わせてもかなわないくらい圧倒的な1位なんです。

 

でもこれはちょっとデータが古い。ということで2018年のランキングも見てみると、第1位はこれまたブラックジャックです。それも2012年よりもさらに多い55.2%のドクターがブラックジャックを選んでいる。僕が子どもの頃からある漫画なのに、ブラックジャックがどうして今もこんなにドクターの心を捉えているのでしょうか。

 

ブラックジャックは無免許で、弱い者の味方だけど、金持ちから法外な治療費を取ったり、自然保護や人権のことを考えたり、ノーベル賞や肩書きは興味ないといって肩書きを否定しているし、医師の使命のようなことが書かれていたりします。たとえば火傷で、ヤクザのお父さんの皮膚をブラックジャックに移植してもらって助かった子どもがからかわれたとき、“バッキャーロ。自分の命はおとうちゃんからもらったものだ”というシーンでは、人を見た目で判断してレッテルを貼ることへの警告をしています。

 

あるいは友だちのドクター・キリコが手の施しようのない患者の安楽死を請け負ったことを皮肉られたときには、命が助かるに越したことはないが、最期を看取るときに本当に苦しがっていたらどうすると、生命倫理に正面から向き合う問題提起をしています。

 

またブラックジャックが尊敬していた本間先生を助けることができずに亡くしてしまったとき、本間先生は“人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね”といって、医者は全能ではないし、命を操作するような仕事ではないとたしなめます。

 

今のドラマは「私は失敗しないので」とかいって本当に失敗しないけど、ブラックジャックは失敗や葛藤も隠さない。また、医療で人の命を救ったら、今度は人口が増えて食料が足りなくなり、人が餓死していくことにつながってしまう。そういう場面でブラックジャックは「医者は何のためにあるんだ」と叫びます。

患者にとっての最善を尽くす

医者の使命は、何だと思いますか?たぶん皆、心の中で考えていると思います。命を助けることでしょ、とか、症状や痛みをとったり、健康を取り戻したり、障害のある人が障害をのり越えて社会復帰したり、あるいは予防医学で病気にならないようにすることなど。

 

広辞苑などには、使命は「与えられた重大な務め、責任を持って果たさなければならない任務」と書かれています。皆さんにはリスボン宣言というのを知っておいてほしいんですが、そこには「医師は、常に自分の良心に照らしつつ行動し、常に患者にとっての最善を尽くすべきである」と書かれています。では患者にとっての最善とは何でしょう?

 

患者が求めているのはQOL、クオリティオブライフです。生命の質とか生活の質、人生の質とか、いろいろな訳がありますが、ひと言でいうと「幸せかどうか」、「満足しているかどうか」です。長生きできるかどうかとか、痛みがとれているかどうかではありません。どんな治療であろうと、患者さんが幸せで満足するためだけにするもので、どんな上の先生にいわれようが、患者さんを不幸にすることはやってはいけません。

 

たとえばがんが全身に転移していて、Xという抗がん剤の点滴をしなければ命は4週間、Xという抗がん剤を使えば命が6週間に延びるという確実な研究結果があるとします。皆さんが主治医だったら患者さんにどう勧めますか?

 

目の前の患者さんが、その抗がん剤治療をやりたいかどうかは、聞かないとわかりません。聞かないで医者が決めてはいけないんです。自分の良心に照らしつつ行動するのですが、患者さんにとっての最善は聞かないとわからない。患者さんが「4週間が6週間になっても、どっちにしても助からないんですよね。今でもこんなに痛くて苦しいのに、辛い時間が2週間も延びるなんて絶対やめてください」というのに、エビデンスがあるからといってこの抗がん剤を投与すると、患者さんのクオリティオブライフは下がる可能性があります。

 

でも、患者さんがこう言ったらどうでしょう。「あと1ヵ月で初孫が生まれます。どうせ死ぬなら初孫の顔を見てから死にたい。どんな辛い副作用でも耐えるので、ぜひお願いします」。この患者さんのクオリティオブライフは、抗がん剤を投与することで上がる可能性があります。全く同じ薬で、同じエビデンスがあっても、患者さんが幸せになる場合と不幸になる場合があるんです。

 

皆さんだったら4週間が6週間になるといわれたらやりますか?多くの人がためらい「んー」といいましたね。では4週間が6年になるといわれたらどうですか?(挙手多数)皆さんの心の中のものさしは、患者さんや家族と同じです。幸せになるか、満足できるかで決めているのです。それなのに僕らが、研究結果で予後が○週間延びるからやりましょうというのは違います。○週間延びるけどどうしますか、と聞かなくてはいけません。患者さんはこの治療で人生が豊かになるでしょうか、幸せになるでしょうか?

ある直腸がんの終末期の患者さんは、もう自分では何も食べられないくらい調子が悪いのに、「自分のまわりでみんなでお寿司を食べてください」、というのです。普通、食べられない人のまわりで食べ物の話をしたり食べたりするのは、社会通念上いいことではないと思いますよね。でもこの患者さんはあまりにも冷静に何度もいうので、それじゃあみんなで食べようということになりました。

 

この人は小樽出身で、お寿司のネタの話をしたり、お寿司を食べてる人にワイワイ囲まれるのが大好きだったんですね。それでものすごく喜んでくれた。そのとき僕らもハッとしたんです。こんなことをしたら社会通念上よくない、患者さんが喜ぶはずがないと、自分たちの価値観で勝手に決めていたのかもしれない、間違ったケアをしていたのかもしれないと、反省した瞬間でした。

 

またある患者さんは胃がんで再発して、ついにおしっこも1滴も出なくなって、今日にも死ぬだろうという状態になりました。その患者さんが突然、「来週の日曜に娘が結婚するんですが、その日、私はもうこの世にいませんよね」と聞いたんです。「そんなこといわないで頑張って娘さんの晴れ姿見ましょうよ」とかいえばいい雰囲気だったかもしれないけれど、今日おしっこが1滴も出ていないのに来週の日曜なんて無理だと、僕も本人も思っているわけです。

 

そこで「今日やりましょう」といって、患者さんをベッドごと会議室に運んで、新郎新婦と双方の両親と兄弟が全員揃って結婚祝いをしたら、すごく喜んでくれました。この人は3日後に亡くなりましたが、来週まで頑張りましょうなどといっていたら、娘さんの晴れ姿を見ることはできませんでした。

 

患者さんのクオリティオブライフを上げる、幸せや満足を上げるのは医療だけとは限りません。しかしそれをする、患者さんにとっての最善を追求するのが医師の使命です。看護師とかソーシャルワーカーとかケアマネージャーとか、いろいろな人の手を借りてかまわないので、みんなで自分がかかわった患者さんの人生を豊かにできるかどうか考えるのです。

 

こんな患者さんもいます。小指を包帯でぐるぐる巻きにしているので、「指は?」と聞くと、「あるよ」とポケットから出します。「今なら指をつなげるから形成外科を紹介します」と電話をかけようとすると、「命の代わりに落とした指をつなげて帰ったら次はどうなると思う?」というので、「次は命がないですね」というと「そうだ」というのです。この人は奥さんと子どものために、指を失ってもいいから足を洗って堅気になろうと思って指を落としたのです。

 

この人の命を助けるためには、指はつないではいけないのです。つなげられるのだからつなげなきゃダメです、といい張ったら命がないのです。医学的に正しい選択をしたらそれでいいのだろうか。医者は自分の良心に照らして行動したかもしれないけれど、患者さんにとっての最善を尽くしたかどうか。正しい医療と、患者さんの人生を豊かにする医療は違います。

医者に必要な能力

さて、医者に必要な能力は何だと思いますか?計算する力とか、生物学とか語学力とか記憶力とか、マネジメントするスピードとか、そういう能力を持っている人が入学試験に受かって医学部に入学していると思います。でもこれらはすべてAIにはかないません。では医師に必要な力は何でしょう?

 

一番必要なのはコミュニケーション力です。患者さんや家族、看護師やリハビリのセラピストなど他の職種の人たちとコミュニケーションを取る力。自分の考えをいって、相手の考えを聞き、落としどころを見つけるような力が必要です。

 

2つ目はリーダーシップです。いざというとき医療の責任を取るのは医者です。ただし医者はチームの中で最も責任が大きいからこそ、最も謙虚なリーダーでなければいけません。偉そうに一方的に指示して服従させるようなリーダーシップではなく、みんなのいうことをよく聞いてビジョンを共有して下から支えるようなリーダーシップ、そういうサーバントリーダーシップが必要です。

 

3つ目は想像する力です。ニック・ブイチチという人を知っていますか?乙武洋匡さんと同じ先天性四肢切断の人です。その人がこういっています。

 

「私は世間的には障害者ということになります。でも手足がないことで『本当の障害』を取り除くことができました。本当の障害って何だと思いますか?」

 

ブイチチさんは泳いだりゴルフしたり絵を描いたり、いろいろなことをしています。サーフィンやスカイダイビングもして、奥さんや子どももいます。この人は、本当の障害というのは自分の人生に自分で限界を設定してしまうこと、これがお前の限界だという他人からの言葉をうのみにしてしまうことだといっています。そして自分はものすごく幸せだし、何でもできる、人生に限界はないといっているのです。

 

それを僕らが勝手に見た目で判断して、こういう医療をするのが適切だとか、こういうケアを提供するのがいいと考えてはいけないのです。共同のいとなみと呼んでいますが、きちんと患者さんと対話して、患者さんの人生がどうしたら豊かになるのかをみんなで考え続けるのが、僕らの仕事なんです。

 

あるとき救急車で、顔が30㎝切れているホームレスの男性が搬送されてきました。顔が30㎝も切れるはずがないと思っていましたが、片方の頬から鼻の下を通って反対側の耳の下から後頭部まで、本当に切れていたんです。公園で寝ていたら高校生にカッターか何かで切られたらしい。それで傷を洗って縫合して、家がないので入院してもらいました。治ってから話を聞くと、この人はとてもいい人だったことがわかりました。

 

地元の工場で働いて職場結婚もして幸せに暮らしていたのに、奥さんと子どもが出産で亡くなってしまい、淋しさからお酒を飲むようになりました。5年前に突然リストラされ、部屋代が払えなくなってホームレスになったのです。それなのに「おれを襲ったやつもよっぽどイライラしてたんだよ。みんなつらいんだよ」と加害者にまで共感しているんです。運ばれてきたときには、こういう人生を背負った人だとはわかりません。いい信頼関係をつくって、その人の人生を豊かにするためにどうすればいいのか、キチンと向き合わないと話してくれないのです。

医師の仕事は“トロッコ問題”の連続

4つ目は責任感です。医療に「絶対」はありません。どんなに最善を尽くしても患者さんが亡くなってしまうこともあるし、大きな合併症になってしまうこともあります。大事なのは失敗しないことではなくて、逃げないことです。僕がいる病院では手術の同意書に「絶対に合併症は起こしません」などというウソを書いてはいけないと教えています。合併症が起きることもあります、再手術が必要になることもあります、と書いたうえで「いかなる場合でも、主治医としての責任を持って最善を尽くします」と書かなかったら手術してはいけないという決まりがあるのです。

 

大学入試は4問完答したら5問目は捨てても合格します。でも僕らの仕事は5問目を諦めたら患者さんは助からない。最善を尽くさないと死んでしまいます。しかも最善を尽くして完答したと思ったときでも、助からないことがあります。そういうとき、僕らは逃げることができません。

 

ネガティブケイパビリティという言葉があります。これは僕が大切にしている、医師に必要な能力です。医師の仕事は感謝されることばかりではありません。「治せないんですか」「合併症って医療ミスですよね」等々、いろいろいわれます。治せないこと、助けられないこともあります。そういう場合に信頼関係ができていなかったら「ほかの病院に行きます」「賠償してください」などとなってしまう。それでも主治医として患者さんに向き合い続けなければいけない。気持ちが押しつぶされそうになっても投げ出さない力が、ネガティブケイパビリティです。

 

皆さん、トロッコ問題はよく知っていると思います。線路上に5人、引き込み線上に1人の作業員がいるところへトロッコが猛スピードで接近してきます。何もしなければ5人が轢かれ、引き込み線に誘導する切換えレバーを引けば5人は助かるが引き込み線上の1人が轢かれます。そのとき、あなたならどうしますか、という問題です。1人が死んでも5人助かるほうがいい、という考えを功利主義、あるいは最大多数の最大幸福といいます。しかしこれには一部の犠牲が伴います。日本の安全を守るためには、国土の0.6%しかない沖縄に基地が集中してもしかたがない。電気の安全供給のためには福島みたいな原発立地県に負担がかかってもしかたがない。日本人全体を守るためには数100人の自衛隊員に犠牲が出てもしかたがない。これらはみな功利主義の考え方で、一部の犠牲はしかたがないという考え方です。

ではもし100人いたら、何人までなら切り捨ててもいいですか?20人までならいいと思う人?90人助かれば10人くらいはしかたがないと思う人?99人助かれば、1人の犠牲はしかたがないですか?どこで線を引きますか?100人のうち1人でも助からなくていいと考えたら、「命の重さは平等だ」という資格はありません。

 

医師の仕事は簡単に答えが出せないことばかりです。毎日トロッコ問題みたいなことばかりなんです。どうして1人を助けることができなかったんだろうと悩み続ける力、何かを選択しないといけないとしても、それでよかったのかどうか考え続ける力が必要です。

誰でも明日100番目になるかもしれない

たとえば僕の病院がある川崎市では100番目はホームレスかもしれないし、日本の100番目は8年間仮設住宅で暮らす被災地の人や、日米地位協定と闘い続ける沖縄の人かもしれない。世界の100番目は戦火におびえ爆死していく人や、1歳にもなれずに餓死していく子どもたちかもしれません。こういう人たちはどんなに医療を充実させても救えないんです。なぜだと思いますか?彼らが侵害されているのは、健康ではなく人権だからです。

 

人はいつ弱者になるか、誰もわかりません。僕も明日事故にあうかもしれないし、脳梗塞で動けなくなるかもしれない。明日、100番目になる可能性は皆にあるのです。人は皆、いずれは病気になるし死んでいく。弱者になっていきます。だから民医連は無差別平等の医療と福祉の実現をめざしています。一部の犠牲はしかたがないといわずに、一番困っている100番目の人が確実に助かるような医療や福祉、すべての人が尊重される社会をめざしているのです。

 

『世界がもし100人の村だったら』という本のことを、皆さんは知っていると思います。皆さんは大学に入って、携帯もパソコンも持っている。そういう皆さんは世界がもし100人の村だったら何番目でしょう。よく考えてみてください。

厄介な患者は臨床の神様

僕が一番好きな言葉は、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉です。自分は今、仕事があって家族も家もあって、まあまあ幸せかもしれない。でも世界では何1000万人の子どもたちが食べるものもなくて餓死している。あるいは戦火におびえている人たちがいる。そういう世の中に生きて、本当に自分は心から幸せといっていいんだろうか。世界中の人が1人残らず幸せになってはじめて自分も心の底から幸せだと思えるという宮沢賢治の言葉は、大切だと思っています。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」は『農民芸術概論綱要』(宮沢賢治著)の序論に掲載されています。

僕は川崎で野宿生活者支援のNPOもしています。そういう野宿生活者は、「駅前で頭を下げてもお金をくれる人はいないけれど、200円持っている仲間は100円くれる、その日100円なかったらどうなるかわかっているから、くれるんだ」といいます。簡易宿泊所よりも、そういう助け合える仲間のほうが大切だと。自転車を持っている野宿生活者は、何10㎞も離れたところまで空き缶拾いに行きます。近くの空き缶拾ったら自転車を持っていない仲間や足の悪い仲間が生きていけないから、遠くまで行くというのです。

 

あるホームレスの男性は、1週間食事がとれなくて吐き続けていたので、NPOの職員が市立病院に連れて行きました。けれども診察では指1本触れず、血液検査やレントゲンもとらずに、「2、3日食べなければ治ります」といわれたんです。「1週間吐き続けていたんですから食べなかったら死んでしまいますよ」とNPOの職員がいうと、「心配なら救急車呼んだらどうですか」というので、その病院の玄関先から救急車で僕のいる病院に運ばれてきたわけです。その患者さんはレントゲンをとると下行結腸がんの腸閉塞とわかったので、すぐに手術をして元気になりました。今はケア付き住宅に入って、幸せに生活しています。

 

一番面倒くさい人、みたくない人が一番困っている人です。患者さんの人権を守れたと感じられて初めて無差別・平等の医療を感じることができます。寺沢秀一先生が「厄介な患者を見たら、臨床の神様がその患者に化けてあなたを試しにきたと思いなさい」と教えてくれました。当直で、薬物中毒とかやくざ、アル中の人とかがきていやだなと思ったときこそ、これは臨床の神様がオレを試しているんだと思うのです。

 

民医連の和田浩先生は「援助したくない患者をみたら、その患者の裏に隠された貧困の存在を疑いなさい」、「ネガティブな方向に心の針が振れたら、それは貧困というテスターだと思ってください」といっています。お金に困っていないだろうかと思ってその患者さんの人生と向き合うと、解決策が見えてきます。でもそのまま帰すとまたお酒に浸ってしまうかもしれません。

格差と健康の関係

「貧しいほど健康ではない」というエビデンスが証明されているのを知っていますか?先進国でも発展途上国でも、すべての国で健康は社会階層の勾配にしたがってお金持ちほど健康だということが、WHOによって証明されてしまったのです。格差が健康を規定しているなら、格差をなくすのも医師の使命ではないでしょうか。

 

たとえば時給1900円の人と時給100円の人がいたとします。2人の時給は平均すれば1000円ですが、実際には時給1900円の人は生きていけるけど、100円の人は生きていけません。ではどうしたら2人とも生きていけるようになると思いますか?そう、時給1900円の人が時給100円の人に900円あげればいいのです。

 

世界のトップ62人の資産が、世界の下半分の36億人の資産総額と同じです。そのうえこの資産は、ほとんど使われずに子どもたちに受け継がれていくだけで、誰の役にも立っていません。会社で一生懸命働いている現場の人が、ものすごくいい仕事をしていい商品を作って、それが売れて儲かったら大企業の内部留保はどんどん上がっていくのに、それを作っている現場の労働者の賃金はどんどん下がって、みんな過労死してしまう。こんな世の中でいいんだろうかと思いますよね。

 

皆さんは将来、専門的な医療を提供する医師になっても、地域で医療を提供する医師になっても、どちらでもかまいません。ジェネラリストとして働く総合医も、スペシャリストとして働く専門医も、どちらもカッコいい、助けてといっているすべての患者さんのニーズさえ満たしていればね。けれども患者さんを選んで一部の患者さんしかみないとしたら、どちらであってもカッコ悪い。大学病院にいようが診療所にいようが、自分がみたい人だけみていたらカッコ悪いですよ。

 

民医連の病院は差額室料を取らないと決めています。けれども差額室料はほとんどの病院が取っています。日本で一番、差額室料が高い病院には、1泊73万5000円の部屋もあります。これでは、この部屋なら空いていますといわれても入院するのは無理に決まっています。差額室料はもちろんすべて自費です。民医連は、こうしたお金のあるなしで差別するようなシステムはなくそうとしているのです。

健康と平和は直結している

健康の定義があります。「単に病気でない、虚弱でないというだけでなく、身体的、精神的そして社会的に完全に良好な状態をさす」というもので、1978年にWHOとUNICEFの主導で出されたアルマ・アタ宣言の中に書かれています。ここでWHOがいっている「健康」は、平和な世の中でないと手に入りません。戦争している国では、兵隊は精神的に病んでいるし社会的には最悪の状況だし、WHOのいう健康は絶対無理です。1986年の世界ヘルスプロモーション会議で出されたオタワ憲章でも、健康に必要な条件として平和が一番最初にあげられています。これはグローバルスタンダードです。健康と平和が直結しているというのは、世界の常識なんです。

 

命は金で買えないということは皆、知っています。一方で命は大金に換えることができます。戦争をけしかければ軍需産業が儲かるからです。軍需産業が戦争をけしかけて儲けているのです。ライオンがシマウマを食べるように、動物は他の命を奪って命をつなぎます。でも金儲けのために他の命を奪う動物は人間だけです。それでいいのか、よくないと民医連はいっています。聖路加国際病院の日野原先生もわざわざメッセージを出しています。「人のいのちの重要性は、医師が一番よく知っています。医師こそ平和の最前線に立って、行動すべきと私は考えています」。なぜこれを出したかというと、日野原先生は戦争に行って大変なものを見てしまった、それを二度と繰り返してはいけないと思っているからです。

そして「いのちを守る」仕事をする

最後に、皆さんがこれから社会人として世の中に貢献するときに、「ポジティブリスト」と「ネガティブリスト」の2つのマインドセットがあるということを覚えておいてください。

 

ポジティブリストというのは、目的を確実に達成するため決められたこと以外はしないというスタンスです。

たとえばDMAT(災害派遣医療チーム)のドクターが被災地に入って医療を必要とする人を次々助けていくのがポジティブリストの仕事です。

 

逆にネガティブリストは、目的を達成するために、してはいけないこと以外は何をしてもよいというスタンスです。

たとえば被災地に入って、ドクターであっても足浴、傾聴、トイレの掃除など、できることは何でもやるのがネガティブリストです。

 

どっちがいいかではなく、どっちもできなくてはいけません。手術をするときは、何でもやりますではなく、専門性を活かしたいい手術をしなくてはいけません。でも在宅の診療や緩和ケアのときにはできることは何でもしたほうがいい。今自分はどっちのマインドセットで仕事をしたら一番よく貢献できるか、うまく切り替えられるドクターがいいドクターです。

 

僕は今いる病院にきてから往診したり、東大医学部で講義したり、在日外国人や野宿生活者の支援をしたり、被災地の医療支援をしたり、自分が求められてできることなら何でもやろうと思ってやってきました。20年間今の病院で仕事をしてきて、一昨年、思いがけず自分が医師をめざすきっかけとなった若月先生の賞をいただきました。学会などでは何の肩書きもなくても、そうやって見てくれている人がいるというのはありがたいことだと思います。

ブラックジャックの六等星という話に、「六等星はほとんど目に見えないくらいかすかな星だが、小さく見えるのは遠くにあるからで、実際は一等星よりも何10倍も大きな星かもしれない。世の中には六等星みたいに前に出てこなくても遠くでデカイ仕事をしている人がいるんだ」とブラックジャックがいう場面があります。そういう仕事が、今後自分が医者を続けるうえでできれば、それを地域の人が喜んでくれればいいと思って仕事をしています。

 

医師の使命には、さっきお話ししたように、命を助けたり症状を和らげたり、健康を取り戻したり障害をのり越えたり、病気を予防したりすることもあるし、その地域で生きてきた人の命を見送ることもあります。また、格差や貧困をなくしたり、人権を守ることも、平和の最前線に立って行動することも、医師の使命です。僕の場合は常に100人いたら100番目の人の人権を守れるかどうかが、行動の指標になっています。医師として以前に、民医連の職員として、医者でなくてもできることもやろうと思っています。

 

もちろん、専門的な仕事をする医師もいなくてはいけません。でも「医師になったら医療に明け暮れよう」という視野の狭い医者にはならないでほしいと思います。人権は関係ないとか、100番目の人はしかたがないとかいわない医者になってほしい。そして、一番困っている人の人権を、たくさんの仲間と力を合わせて守ることができる医者になってほしいと思います。「いのちを守る」とはそういうことです。

和田 浄史 医師プロフィール

1965年 神奈川県横浜市生まれ。
横浜市立大学医学部卒業。同大学で初期臨床研修修了後、横浜市立市民病院・国立横浜病院・横須賀共済病院・横浜市立大学医学部付属病院等を経て、川崎協同病院外科勤務。
外科医として外来・手術・訪問診療等に携わるほか、緩和ケアチームリーダー・初期研修プログラム責任者・感染対策委員長・医療倫理委員会委員長などを務める。
2017年、第26回若月賞を受賞。

参加した学生からの感想を一部紹介します

  • 漠然と困っている人の味方である医者になりたいと思っていたが、100人目の人に向き合うという話を聞いて自分の考えをより具体化でき、非常にいい経験となった。また平和という大きな目標に関して医者が大きく関わっていることを強く意識するきっかけとなった。
  • 自分は専門医を志していますが、医師としてというか、一人の人として、困っている人を助けてあげることができるような医師になりたいと思います。
  • 医師として100人目の方に目を向けるだとか、ネガティブケイパビリティを高めることなど、印象に残ることばかりでした。医師の役割は病院によっても、地域によっても変わってくると思いますが、100人目の方を忘れず、自分がどんなものを守り抜きたいのか考え続け、悩み続け、前に進んでいきたいと思いました。
  • 元々、地域医療を目指して医学部に入り、今、専門医と揺らぎはじめたところで、それぞれの役割、優劣ではない患者の幸福のために本気で、逃げずに向き合える医師が一番かっこいいという言葉で、医師のあり方、何のための医療かということを改めて考えることができました。
  • 私は総合医を目指しているので、私も100人目まで助けられる、差別しない総合医になろうと思います。
  • “無差別平等” “人権を守る”ということと医療の結びつきについて深く考える機会となりました。100人目に向かい合うことができる医療者に将来はなりたいと思います。
  • 専門書で目先の知識を追うだけでなく、生活の中で考え直すこと、振り返ることの大切さを痛感いたしました。

 

 

 

東京民医連では4月14日に御茶ノ水・ソラシティカンファレンスセンターにて川崎協同病院の和田浄史医師を講師に「医師の使命とは~100人目に向き合う~」が34名の参加で行われました。

 

和田先生自身が大学病院にて研修をはじめ、どのような医師を目指すのかという葛藤などが語られました。また、参加者には医師の使命とは何かをテーマに参加者に事例を通して問い続けていました。

 

 

講演の中で問われた質問

あなたは、100人の集団なら何人まで切り捨てられますか?「一部の犠牲」は仕方ない?

川崎市川崎区の100番目は、たとえばホームレス

日本の100番目は、たとえば8年間仮設住宅で暮らす被災者の人にと

たとえば日米地位協定と戦い続ける沖縄の人びと

世界の100番目は、たとえば戦火におびえ、爆死してゆく人びと

たとえば1歳にもなれずに餓死してゆく子供たち

彼らは医療の充実では救えない→なぜ?

 

民医連は「無差別・平等の医療と福祉の実現を目指す組織」、だからこそ「一部の犠牲」も許さず、もっとも困難な100番目の人に照準を合わせ、全ての人が等しく尊重される社会を目指していることを語られました。

 

 

  

 

私的「笑って死ねる病院」
-個人として尊重される医療をめざして-

中内義幸医師 講演

能美市・寺井病院副院長

 

「笑って死ねる病院」をご存知ですか? これは金沢の民医連病院、城北病院で、終末期の患者さんの希望を叶えるために医師や病院のスタッフ、患者さんの家族が一丸となって取り組む様子を、地元のテレビ局が「笑って死ねる病院」としてドキュメンタリー番組でレポートし、話題となったもの。

今年3月の新入生歓迎企画では、この城北病院に勤務し、現在は寺井病院の副院長を勤める医師・中内義幸先生が登壇。ご自身が医師をめざして医学生となってから現在に至るまでのさまざまな経験と、それを通して変わってきた考え方や、医療への思いを語ってくださいました。その主な内容をご紹介します。

医者の多い一族に育って

私は1964年東京生まれで、実家は今も東京の目黒にあります。そして22歳のときに4浪して金沢大学の医学部に入学し、そのまま石川県に住んでいます。

 

私の父は皮膚科の医者で、父方の祖父も海軍の軍医から軍医学校の校長を務めるなど、医者の多い一族でした。自分も「大きくなったら医者になるんだよ」といわれて育ったので、大きくなったら自然に医者になるものだと思っていました。ただ医者になるためには受験戦争に勝ち抜かなければいけないことは誰も教えてくれなかったんですね(笑)。

 

また、私が幼稚園の頃、母方の祖母が病気で胸から下が完全にマヒしてしまいました。今考えると脊髄の病気だったのではないかと思いますが、当時は原因不明の病気といわれていました。私が小学生になる頃には祖母は入院し、母も祖母の病院に手伝いに行っていることが多くなったので、私は「鍵っ子」として育ちました。

 

その後、祖母は退院し、車いす生活となったので、私も祖母が車いすからベッドに移動するのを手伝ったり、大きくなって車の免許を取ってからは二子玉川に買い物に連れて行ったりしていました。そういう経験をしたことが、後から考えると、医者側の視点だけでなく、患者側の視点が身につくことにつながっていったのかな、と思います。

民医連との運命的な出会い

私は子どもの頃から医者になれといわれて育ったため、医者の仕事を理想化しているところがありました。しかし大学に入学して実習をしたりするようになり、世の中のことが見えてくると、医療はきれいごとではないとわかってきます。そんなとき、ちょうど5年生になる前の春休みに東京の民医連の人から連絡があり、「春休みに帰省するなら病院見学に来ない?」と誘われたんです。5年生になると大学でも病院実習が始まります。そういうタイミングで誘われたので、春休みに東京民医連の小豆沢病院に見学に行きました。これが民医連との出会いでした。

今回、過去の資料を見ていたら、春期実習感想文というのが出てきました。そこに「自分の将来の医師像」について書いています。それまでも民医連の人と話をするとよく「将来どういう医者になるの?」と聞かれて辟易としていたんですが、そのときは結構気分が高揚していて「今まで隠していたが、本当のことをいうと理想の医師像は患者さんが私の顔を見ただけで治ってしまうような医者です」と、とんでもないことをいっているんですね。当時、これをいうと民医連の担当者にはウケました。民医連ってこういうことをいうと喜ばれる組織なんだ、と思ったことを覚えています。

本当に患者さんの立場に立った医療とは?

「患者さんの立場に立った医療をしています」というのは、どこの病院でもいうことですが、実際はそうでもないということは皆、知っているわけです。でもこの小豆沢病院に行ったときに、この病院は本当に患者さんの立場に立った医療をしている。こういう病院が現実にあるんだということがわかり、とてもうれしかったのです。医者だけが頑張っているのではなく、そのほかのいろいろな「多」職種の人が目の前の患者さんのために積極的に関わって取り組んでいる。それが衝撃的で、うれしい経験でした。

その一方で、ちょうど選挙前だったので、昼休みにナースセンターで看護師さんがせっせと選挙のビラ折りをしていたんです。私は政治には無関心だったので、これにはちょっとついていけないと思いました。ただこういう病院があるということはわかったので、きっと探せばこういう病院で政治的でないところがあるだろうと思い、10ヵ所くらい、いろいろな病院を見に行きましたが、見つけられませんでした。

 

また、「民医連の医療と研修を考える医学生の集い」というのがあり、その実行委員会が年に何回か東京で行われるので「実行委員になると無料で帰省ができるよ」と誘われ、5年生~6年生にかけて実行委員をしました。この実行委員会に行くと、全国からいろいろな医学生が集まってきて、医療のことを熱く語る。自分の学校ではそういうことがなかったので、仲良くなった学生たちとどういう医療をするのか話したことはすごく刺激になったし、全国にはそう考える学生がいるとわかって、とてもうれしかったですね。

 

その頃は今のような研修制度はなく、「片道切符」といって、大学を卒業して就職先を選ぶと、ほぼ一生そこで生活することになりました。そのため出身大学の医局以外のところに行く人は極めて少なかったし、高いハードルでした。けれども長いものに巻かれて金沢大学の医局に行き、ほどほどの医療をするのは、もちろん大学もきちんとした医療をしているのですが、自分の良心に素直にできるかというと疑問がある。この先、何十年間か医者としてやっていくには、自分の気持ちに素直に行動できるところで、自分のやりたい医療をしたいと思い、民医連を選びました。

城北病院で研修医としてスタート

当時は今と違い、就職して最初の5~6年間に初期研修が行われました。私は城北病院という300床くらいの病院で研修をスタートしましたが、2年目には人手の関係で、今勤務している寺井病院に回されました。ここは当時56床の小さい病院だったので、当直はいきなり1人になってしまうし、外来も毎日入っている。あと、定期の訪問診察があり、毎週病院の外に出る時間があるという研修でした。訪問診察は楽しかったのですが、1人当直は怖かったですね。当時の寺井病院は急性期も診ていたので、心筋梗塞がきたり脳出血がきたり、在宅酸素の患者さんが呼吸不全になって運ばれてきたり。先輩の応援を頼んで何とか鍛えられつつ成長できた感じでした。

 

この研修2年目の年が明けた1月に阪神淡路大震災がありました。民医連からもボランティアの呼びかけがあり、医療支援という形で2回、応援に行きました。このときは震災の被害の大きさもありますが、その中で医療の果たす役割の大きさを感じました。また、全国から集まった民医連の職員が、その場で即席のチームをつくって避難所に診察に行ったりいろいろな活動をするのですが、簡単な打ち合わせをしただけですぐにチームとして機能できる。患者さん中心に医療をしようという思いで頑張っている人たちが集まると、何が必要かを自分たちで考えて判断して動ける。それが民医連なんだと印象に残った大きな体験でした。

 

もうひとつ印象に残ったのが、日常の生活が非常に大事だということです。逆にいうと医療がどれだけ頑張っても、食事ができないとか寝る場所がない、着るものがないといったことは医療ではカバーできない。そういう意味では行政の仕事が大事で、環境をきちんと整えておかないと健康な生活はできないということを印象づけられました。

 

その後1年間、城北病院で研修した後、5~6年目にかけて羽咋診療所という、金沢から1時間ほど離れた地域の診療所に行きました。研修といっても、ここは医者1人の診療所なので、行ったら診療所長なんです。あとは看護師4人と事務2人、それと友の会という地元の方たちが一緒に支えてくれる。この友の会が非常に強力でした。ひとつ嫌だったのは、自分がいる2年の間に市議会選挙があることでした。友の会の会長は前回の市議選で落選した前議員だったので、選挙では応援しないわけにいきませんが、自分は正直あまり関わりたくないと思っていました。

 

ちょうどこの時期、健康保険法を改訂し、高齢者はそれまで月1回1,000円の定額負担で受診できていたのを1割負担に変えようという法案が準備されていて、民医連はそれに対する反対運動をしていました。羽咋診療所のある地域では月2、3万の現金収入があれば孫にお小遣いをあげても生活できるという人がたくさんいます。そういう人たちが月1,000円の窓口負担で済んでいたのが1割負担になるとお金が足りなくなって、自分が外来で診ているあの人もこの人も病院に来なくなるのではないかと、すごくリアルな問題としてあり、こういう改悪はやめさせなければいけないと思っていました。そこで友の会の人たちと一緒に署名集めしたりしていたのですが、そんなときに会長さんが先頭に立って頑張ってくれました。

また、羽咋市は石川県で唯一「高額医療費の受領委任払い制度」がない市だったので、その導入を求める署名を集めて議会に請願していましたが、議会では誰も請願を受け取ってくれない。そこで自分たちの意見を議会に上げてくれる人が必要だということで、政治のためではなく目の前の患者さんのために、という思いで、素直に会長さんの応援をすることができました。その結果、会長さんはめでたく当選し、請願を上げるとほかにも賛成する議員が出てきて、法案は議会を通ったんですね。

その後、7年目には大阪の羽曳野病院での外部研修を経て2000年に城北病院に戻り、2013年には今いる寺井病院に異動となり、今に至るわけです。

「笑って死ねる病院」

2008年6月にテレビで「笑って死ねる病院」が放送されました。私もこの冒頭部分、松村さんという患者さんが家に帰るシーンに登場しています。松村さんは肺気腫で、”saber sheath trachea syndrome” で気管の軟骨が軟らかくなっていて、強い呼吸困難を繰り返すという病気でした。人工呼吸の必要な最重症の呼吸不全の患者さんでしたが、家が大好きで、なるべく家にいたいという方でした。しかし家と病院の行ったり来たりで、2005年10月の32回目の入院のとき、状態が悪くて退院も難しくなってしまいました。

 

翌年7月から麻薬を使い始め、食事もだんだんとれなくなって点滴していましたが、点滴を入れる血管もなくなって、2008年3月からは持続皮下点滴を入れました。その中で3月12日に自宅へ外出し、19日に亡くなりました。本当に長い闘病の最後のところで、いつ呼吸が止まってもおかしくない状態でした。松村さんはずっとルンゲの会という患者会の会員で、年に1回、患者さんと家族、病院のスタッフが一緒に1泊旅行をして夜はおしゃべりをして、という活動をしていました。そうした中で病院スタッフと松村さん、松村さんの家族の信頼関係がしっかりとできていたから、ああいうギリギリの状態で外出することができたのだと思います。

 

家に帰りたいという希望は、松村さんは僕にはいってくれませんでしたが、看護師にはポツリと伝えてくれていました。それを聞いた看護師が「松村さん家に帰りたいといっていますが、無理ですか?」といってきてくれた。そういういろいろな人の信頼関係ができていたことが大きかったと思います。

 

この番組をつくったのは中崎さんという女性のディレクターで、地元のテレビ金沢の遊軍スタッフとして、自分たちでこだわった対象を取材している方です。この方は笹嶋さんという肺がんで亡くなった患者さんの知り合いで、最初はその奥さんから夫をビデオに撮って残してほしいという個人的な依頼を受けて撮り始めたのです。それが病院に来られるようになってだんだん病院スタッフとの信頼関係もできてきたから、柳沢先生が笹嶋さんに「そろそろお迎えですよ」というようなシーンまで映像に残せたのだと思います。

「笑って死ねる病院」は、Medi-Wing66号に特集記事として掲載されています。

 

目の前の患者さんに何が必要なのか

この患者さんは何を望んでいるのか、その人の自己実現はどういうことか、病気は治らなくてもその人にはいろいろやりたいことがあるはずなので、それは何なのかを考えることが私たちには求められています。もちろん医者なので、きちんと診断して治療することは前提条件として当然ですが、それだけで患者さんの望みが叶うわけではありません。病気が治れば問題ないけれど、治らない病気もたくさんあるので、そういうときにどう行動するかが問われていると思うのです。

 

たとえば5年7ヵ月という、当時としては長生きされた「4期肺腺扁平上皮癌」の患者さんがいました。この患者さんは企業健診で胸部異常があるといわれましたが放っておき、その後、腰が痛くなって来院されました。喫煙歴があり、ずっと解体業をして会社の寮に住んでおり、離婚して身寄りはいません。入院は行旅扱いといって、行き倒れになった人の医療費を市が負担するという金沢市の制度を使いました。病気は脳転移のある肺がんでしたが、転移のある肺がんは当時は1年持たないことが大半でした。この方の場合はまず脳外科の病院で頭の手術を受け、その後抗がん剤治療を行うため、城北病院に2度目の入院をしました。会社は働ける見込みがなくなった時点でクビになり、仕事も住むところもなくなっていました。しかし思いのほか抗がん剤治療がよく効いて元気になり、これなら退院できるという状態になりました。

 

ただ帰る先がないので、病院がお手伝いしてアパートを探し、退院しました。その後は外来で診ていましたが、この方はお付き合いする女性ができたとか、その女性とケンカしたとか、外来でよくおしゃべりしてくれる患者さんでした。結果的にはまただんだん病気が大きくなって、5年としばらくたったところで亡くなりましたが、反省させられたのは、4期の転移のあるがんなので最初に入院したまま亡くなるだろうと勝手に思っていたことです。しかし治療が効いて退院したら、当然その方らしい人生がその後も続くのであって、そう簡単に人の人生を諦めてはいけない。その人のその時その時の状況に応じて、キチンとやっていくことが大事だと感じさせられました。

もう一例、67歳の男性で、1週間前から強い呼吸困難感があって救急搬送された方の例を紹介します。この方は無職で結婚2回、離婚2回、服役歴があり、20年前から路上生活をしていて家族との音信はありませんでした。来院したときは呼吸困難がひどくてしゃべることができず、ほとんど問診もとれないような状態でした。レントゲンやCTをとると、何らかの腫瘍があって右の胸水がたまっていることがわかったので、胸水を抜く治療をすると呼吸も楽になり、しゃべったり起き上がったりできるようになりました。そこで改めて話を聞くと、数ヵ月前から息が苦しくて何度か城北病院の前まで来たけれど、無保険なので入る勇気がなかったというのです。追加の検査の結果、腎がんが肺や胸壁に転移して広がっていることがわかりました。ここまでなるには相当の期間、苦しかったと思うのですが、保険がないためにがまんしていたんですね。この方は結局その日の夜、病室で心肺停止になり亡くなってしまいました。しかしもっと早く診察を受けていれば、こんな経過にはならなかったはずです。

 

城北病院は無料低額診療を行っていて、お金がなければ窓口負担なしで診療が受けられ、差額ベッド料も取らないという取り組みをしていますが、この方の場合はそれが十分伝わっていませんでした。このように病院がいろいろ準備しても、病院で待っているだけでは何も解決できない、もっともっと世の中に働きかけていけなければならないと思います。

 

「その人らしく」を追求したいと思っても、その前に「最低限度」の生活が守られない人も、今の日本にはまだまだいます。そのときにどうすればいいのか。自分ひとりでやっていくのは難しいですが、民医連にいると一緒に頑張ってくれる人がいたり、地域の人たち、共同組織の人たちも、同じ方向を向いて頑張ろうといってくれる。さらに政府に何か要求しようというときには、全日本民医連もあります。

すべての人が等しく尊重される社会

全日本民医連は2年ごとに総会を開いて運動方針を決めます。その運動方針をまとめた長い文章が2年ごとに出されますが、この文章が非常によくできています。自分が医師としてこの患者さんにもっと何かしてあげたいができないということがあると、それがこの運動方針に拾い上げられていて、それに対して全体でこういう方針を持って解決していこうということが示されています。これはすごいことだと思うんですね。日本中のいろいろな医師の経験をすくい上げ、運動方針にまとめ、それを2年ごとにブラッシュアップしている。その根っこのところに民医連綱領があって、何を目標にみんなで頑張るのかというエッセンスがまとめられています。

 

この民医連綱領では、最初に「私たち民医連は無差別・平等の医療と福祉の実現を目指す組織です」とし、それから日本国憲法に触れて「この憲法の理念を高く掲げ、これまでの歩みをさらに発展させ、すべての人が等しく尊重される社会をめざします」としています。決して病院や診療所の中にとどまるのではなく、世の中をよくすると宣言しているんですね。憲法にも言及していますが、国民主権、平和的生存権、基本的人権という三大原則が憲法に書かれているということが、民医連が目の前の患者さんのために頑張るということの大きな拠りどころになっています。憲法は日本の一番基本の決まりなので、そこに書いてあることを実現するためにやっているのだと。そして、それがめざすのはどういうことかというと、「すべての人が等しく尊重される社会」なんですね。

すべての人が等しく尊重されると聞いて反対する人はあまりいないと思いますが、実際問題としては日本にはいろいろな競争があり、最近では自己責任ということもよく言われています。その中ですべての人を等しく尊重するとはどういうことかというのは結構難しい問題です。私はここで「等しく」というのは「イコール」ではなく、個人として尊重されるということだと思うのです。AさんはAさんなりに、BさんはBさんなりに、それぞれ自分がなりたいと思う生活ができるということが個人として尊重されるということで、人にはいろいろな差異があるので、その人その人で自分らしくいられるというのが大事だと思っています。

 

医者として患者さんに接したときに、投薬や手術をしただけでは良くならないこともあります。そのときは運動や食事など、その人のライフスタイルを変えてもらったりしますが、それでもうまくいかないときは、環境を変えなければいけないこともあります。運動しようと思っても長時間労働でできない、食事に気をつけましょうといっても低賃金すぎて質の良い食事ができないといったときに、どこまで医者がやるべきなのかという問題はありますが、目の前にいる患者さんに必要なことであれば知らん顔はできません。

 

私は最初、民医連に出会ったときに、良い医療はしているけど、政治的なところが嫌だと思いましたが、いろいろやっていく中で、良い医療をするためには政治的な要求も必要だと思うようになりました。さらにもう一歩進んで、結局、医療と、行政や政治を含めた社会環境は切り離せない関係で、行政や政治に働きかけることは自分が良い医療を進めていくうえで当然すべきことだというように、だんだん考え方が変わってきました。もちろんそれは自分だけでするのではなく、チームや病院や共同組織の人と一緒にやることです。民医連という組織には、そのためにハードルは高いけれどみんなと一緒に頑張って取り組もうと自然に思える空気があります。課題はすぐに達成はできなくても、その時点その時点で妥協もするけれどもおしまいにはせず、少しずつでも進めていって、少しでも改善できるようにしていきたいと思っています。

中内 義幸 医師プロフィール

  • 1964年 東京生まれ
  • 1987年 金沢大学医学部入学
  • 1991年 小豆沢病院(東京)で実習、民医連と出会う
  • 1993年 金沢大学卒業、城北病院で研修開始
  • 1996年 羽咋診療所所長
  • 2000年 城北病院呼吸器病棟医長
  • 2003年 城北病院内科急性期病棟医長
  • 2013年 寺井病院副院長

参加された学生などからの感想を一部紹介します

  • 先生が様々な病院をみたうえで民医連は自分の良心に素直に行動できるところだとおっしゃっていたのを聞き、改めて民医連に進んだのは間違いではなかったなと思いました。
  • 医学の勉強だけでなく患者さんと実際に接する機会を積極的に作ろうと思った。
  • お話を聞いて印象に残ったことは、「信頼関係」という言葉でした。患者さんはもちろん看護師さんとの信頼関係があったから患者さんの意向を組み取ることが出来たんだと思いました。
  • 医師の行政への干渉については大学で習うことのできないもののひとつであるので、如何に中内先生が行政に関わったかという具体的な事例を知ることが出来て貴重な経験となった。

次回予告


 

東京民医連では、石川民医連の中内義幸医師を講師に

テーマは、「私的『笑って死ねる病院』個人として尊重される医療をめざして」新入生歓迎企画を全体28名の参加で行いました。

 

講演の中で、中内先生自身が医学生時代に考えた「医療はきれいごとばかりではないのでは」という葛藤や5年生の時に実習を行った小豆沢病院で「本当に患者さんの立場にたった医療を実践している」というしり、自分の良心に素直に行動できる医療を行いたいと医師としての道を歩んだことなどをお話されました。

阪神淡路大震災の際に自身も医療支援に入り、即席のチームであっても「目の前の患者さんを中心に何が出来るのか」ということを考えられる医師や多職種集団との信頼関係の大切さと民医連という組織の暖かさと力強さを実感した経験を話されました。同時に、現場だけではなく医療者が行政などに訴えかける重要性なども話されました。

 

医療現場で、患者さんの「その人らしさ」を求める難しさ、患者さんや家族の思いと医療従事者としての常識とのせめぎ合いなどの葛藤、そんな中でも患者さんや家族と信頼関係を築いていく大切さ、看護師や多職種との信頼関係に支えらて個人として尊重される医療目指している経験を話してくださいました。

 

 

 

参加された学生などからの感想などを一部紹介

  • 先生が様々な病院をみたうえで民医連は自分の良心に素直に行動できるところだとおっしゃっていたのを聞き、改めて民医連に進んだのは間違いではなかったなと思いました。
  • 医学の勉強だけでなく患者さんと実際に接する機会を積極的に作ろうと思った。
  • お話を聞いて印象に残ったことは、「信頼関係」という言葉でした。患者さんはもちろん看護師さんとの信頼関係があったから患者さんの意向を組み取ることが出来たんだと思いました。
  • 医師の行政への干渉については大学で習うことのできないもののひとつであるので、如何に中内先生が行政に関わったかという具体的な事例を知ることが出来て貴重な経験となった。

 

   終了後に簡単な懇親会を開催しました。

 

東京民医連では3月2日から3日にかけて東京都内にて奨学生合宿を全体44名の参加で開催しました。

今回は、「貧困」をテーマに3つのグループに分かれ学びを深めました。

①日本3大ドヤ街とも言われた、東京の山谷地域の現在の実態について、医療相談会や地域での医療の取り組みについて学び、簡易宿泊所や女性の支援施設の見学を行いました。

②北区の高齢化から起こる貧困問題について、実態を学ぶ中で地域の方から「高齢化で貧困になるわけではない。孤立するから貧困になる」というお話を聞きました。

③路上の視点から貧困問題を解決するという視点をもった「新宿ごはんプラス」のボランティアへ参加しました。

 

 

また、実際に自身が無料相談会や子ども食堂などを取り組む医師が貧困問題について講演を行いました。「世の中の矛盾に対して、声を上げ、行動できる人になってください」と参加した奨学生にメッセージを送りました。

 

参加した医学生からは以下のような感想が出されました。【一部抜粋】

  • 医者としては人の健康のごく一部にしか貢献できないが、自分で積極的に様々なことに目を向けてフィールドを広げていくことで可能性はいくらでも広がると思うので医学の世界だけにとどまらず幅広く学んでいきたいです。
  • 貧困の実態を知らない人はたくさんいると思う。そういう人たちに伝えていくだけでも何か変わる。次につながると思うしそこで声を上げるのが医療者に出来ることであると思う。

東京ほくと医療生活協同組合が主催し、地域の方や職員、医療系学生などを対象に「老いゼミナール」を開始しました。沖縄でLGBTの当事者として運動をすすめる竹内清文さんを講師にお迎えして行いました。

地域住民、医療従事者、医療系学生など37名が参加しました。

“きよさん”こと竹内さんの子どもの頃からの経験談では辛い事も楽しくお話され、会場には笑顔が溢れました。

新入生の歓迎企画を行います!
女子医大に入学予定で、民医連の病院で研修や企画に参加した方、そうじゃないけど興味
のある方などどしどしご参加ください!勉強の事・部活の事・バイトの事などなど。
医学部のリアルな話を先輩医学生から入学前に聞いてみませんか?

 

【学生サポートセンターとは】
民医連が設ける学生の集まる場所を指します。
ランチミーティング(昼食会)や学習会などを開催しており、女子医大の看護学生や
医学生が利用しています。学生たちからは大学では少し話しづらい真面目なj話ができる
場所だと提供があります。

 

【日時】2019年4月6日(土)
【場所】女子医大生サポートセンター
【対象】女子医大(医&看護)新入生
【時間】15:00~17:00
【内容】先輩医学生・医師との交流会サポートセンターの説明など
【主催】社会医療法人社団 健友会 中野共立病院(医学生担当)
【住所】東京都中野区5-44-7
【連絡先】
Email:egg.doc@kenyu-kai.or.jp
TEL:03-5380-2744

戸田匠 【昭和大学 2014年卒】立川相互病院 医師

はじめまして、私は立川相互病院研修医一年目の戸田と申します。私はまだ研修を始めて半年ばかりでまだまだ学生気分も抜けきらず、慣れない早起きや書類書き(実は医師の仕事はくらいが書類仕事のようで、驚きました)などに苦労する毎日を送っています。そんな私ではありますが、未熟ながらも医療に接すると、決して忘れられない出会いがあるようです。私の場合は、私が医師として初めて担当した患者さんがその出会いでした。

 

その方は低血糖の後遺症による脳症で軽度の知的障害があり、脳塞の後遺症による失語・寝たきり状態で誤嚥(食べ物をうまく飲み込めず、気管に入ってしまう障害)による肺炎を繰り返しており、来院時既に右肺の大部分が膿で満たされてしまう膿胸という状態であったため、ICU病棟への入院となっていました。私はもともと救急医療やそれに続く集中治療に興味があったことからこの方を担当することを決めました。しかし、医師として初めて立つ医療現場で右も左も分からず、ましてこのような重篤な症例を的確にマネジメントできるはずもなく、指導医の先生に手取り足取り教えていただきながら診察していくことが精一杯でした。それでも膿を取り除く処置や、抗菌薬の投与によって膿胸は少しずつよくなってきました。また、無力ながらもせめて本人と一番近いところにいようと毎日診察の中で会話を続けることで、次第に失語ながら精一杯話してくれる言葉を聞き取れるようになり、コミュニケーションもとれるようになりました。

 

膿胸が徐々に改善したことで意識状態や食欲は改善しましたが、依然として誤嚥は続き、貧血も進行するなど全身状態の改善は難渋していました。さらに、貧血精査目的で施行した大腸内視鏡で大腸癌が発見されました。膿胸、誤嚥、大腸癌、高次脳機能障害などが併存する状態で、今後どうしていくかについて唯一の家族である弟さんだけでなく、施設の方、外科の先生など様々な方と話しながら方針について悩み、結果として大きな侵襲を伴う手術は避け、呼吸状態の安定したところで本人の希望通り施設へ戻り、可能な範囲で食事をとりながら過ごしてもらうという決断をしました。全身状態が良好でなく手術に耐えられない可能性があることや本人の施設へ帰りたいという希望や食べることへの強い意志からの決定でしたが、大腸癌は手術適応範囲内であり、食事すれば間違いなく誤嚥する状態であったため、悩んだ末の決断でした。その後呼吸状態が安定したところで施設へ退院しましたが、約一週間後に施設で亡くなりました。

 

研修を続ける中で、私はあの患者さんいついての決断は本当に正しかったのか、治療方針はあれでよかったのかとよく考えます。この症例のように、実際の医療現場では病気の知識や治療法の勉強だけではとても太刀打ちできないような症例が多くあります。医学的に正解のない状況で診療を進めることができるのは、患者さんとその家族の思いのみならず、共に働く医療従事者の方々や施設職員の方々など、患者さんを取り巻く方々の様々な思いでした。楽なことばかりではありませんが、そんな環境の中で、自分の思いや哲学を育て、成長できることはとても楽しい事だと思います。医師を目指している方、また迷っている皆さんには、そんな環境が実際どのようなものか、是非一度実習に来ていただければと思います。また、皆さんがこの場に立つ日を心から願っています。

継松太河 日本医科大学 2013年卒 大泉生協病院 医師

皆様、遊んでいますか。何と遊んでないですって!!!!遊びにはとても意味があるんですよ、本当に…。

そもそも医師の立場はいろいろあります。中でも私たち臨床医は「治す」こと、「予防」していくことが醍醐味であり、一生苦しむ設問でもあります。
皆さんの悩みは学業的な面でしょうか。

 

確かに医療の内容は日々進化していきます。しかし、実は一番苦労するのは前述の「学業的」な分野よりも、「国語力」「理解力」「コミュニケーション能力」「常識」であったりします。例えば「お腹が痛い」という訴え一つにしても多種多様の内容があり、実はお腹痛いんじゃなくて不安やストレスからそのように訴えたりすることもあります。また、「胸のあたりが痛い」でも「お腹」と言ったりします。しかもそこに嘘は混じっていません。患者さんにはそのように感じられるのです。
その他にも自分が経験した二つの事例をを紹介します。

 

高血圧緊急症の患者さんが、入院が必要にもかかわらず仕事が休めなくて「ただ血圧高いだけなのでもう退院していいんじゃないか」と言われたこともあります。また、ダウン症の患者さんがてんかんの症状で入院した時には、症状が改善し退院を決めました。しかし、退院先が認知症の両親との同居で様々な問題を抱えていました。障害者の福祉制度を学んだり、看護師さんやケアマネージャーさんなど他職種と連携して話し合いを重ねました。その当時、最善だと思った選択をしましたが、果たしてこれで良かったのか今でも悩みます。

 

では、今、皆さんは何をすべきなのかというと、とりあえず何にでも恐れず触れてみてください。いろいろなものに触れていけば行くほど正解のないことが溢れかえっていることを知ると思います。不条理の中で自分の無知を「自覚」し「楽しみ」つつ一生懸命に取り組み、いろんな人に協力してもらえばいいと思います。その点では、学校の友達や病院関係者だけでなく、患者さん、はたまた地域の人との関わりを学生時代から持つことがとても重要なことだと思っています。

 

もし、自分の話に興味をもって実習に来てくれれば嬉しいです。そして将来一緒に働き、学んでくれるならばさらにうれしいです。
それではお会いできることを楽しみにしています♪

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